2014 Fiscal Year Research-status Report
アイルランドにおけるジェイムズ・ジョイス受容と文学的伝統の変容
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26370335
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Research Institution | Hosei University |
Principal Investigator |
結城 英雄 法政大学, 文学部, 教授 (70210581)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | ジェイムズ・ジョイス / アイルランド / 文学的伝統 / モダニズム |
Outline of Annual Research Achievements |
ジェイムズ・ジョイスは、生誕百年祭の1982年、アイルランドで自国の作家として承認された。以降、ジョイスはアイルランドの文学的伝統のなかに回収されることになる。ジョイスは大陸のモダニズムの運動に同調した先鋭な作品を創作したため、アイルランド人作家として受け入れられなかったが、そのアイルランドもジョイスの世界的な名声を無視しえなくなっていた。本研究の目的は、そうした自国アイルランドでのジョイス受容の動向を探り、モダニストとしてのジョイス評価、さらにジョイス受容にともなう文学的伝統の変容を具体的に検証することにある。 アイルランドにおけるジョイス受容の波紋を論じる研究者は少ない。これまでモダニストとしてのジョイスの位置を測定し、さらにジョイスの文学の源泉がアイルランドにあることも論じてきたが、モダニストとして定立された世界的な作家としてのジョイスが、逆にアイルランドの文学的伝統に及ぼしている影響についての視点は欠けていた。アイルランドでのジョイス受容はその文学的伝統の構想とも関わる大きな問題である。 そこで本研究は4年をめどに、アイルランドでのジョイス受容と、それにともなう文学的伝統の変容を考察するものである。そのため4期に絞りながら、その具体的な関わりを順次検証する。すなわち、①1922年のアイルランド独立からジョイスが亡くなるまでの 「潜伏期」、②ジョイス没後からジョイス受容が承認される1982年までの「変遷期」、③ジョイス受容の承認から北アイルランドとの和平協定が締結される2007年にいたる「開花期、④2007年の和平協定締結から今日にいたる「転換期」の4期である。時代の参照枠としては社会学的なアプローチを試みるが、中心となるのはそれぞれの時代の主要な作家や作品との照合である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、アイルランドにおけるジェイムズ・ジョイス受容の波紋をめぐり、4期に分けて順次検証し、ジョイスの受容が逆にアイルランドの文学的伝統に影響を与えていることを明らかにすることである。 そのため本年度は、アイルランドの独立、ならびに『ユリシーズ』が出版された1922年から、ジョイスが亡くなった1941年までの「潜伏期」を中心に、アイルランドにおけるジョイス受容を検証した。この時代、ジョイスの『ユリシーズ』が発禁処分になっていたこともあり、アイルランドでジョイスは忌避されるべき作家となっていた。またプロテスタントの作家も疎外されていた。そのような状況にありながらも、アイルランドでもジョイスを賛美する作家もいた。そこでアイルランドにおけるジョイスに対する批判的な意見を検討すると同時に、ジョイスの文学を賛美する人々の意見を対比するところから出発した。とくにシェイン・レズリーとエリザベス・ボウエンが対照的であった。 その一方、国外におけるジョイス評価は目覚ましかった。アイルランドでの評価と対照させながら、フランス、アメリカ、イギリスなどを取り上げた。フランスは『ユリシーズ』を出版した国のみならず、モダニズム運動の拠点でもあり、多くの作家がジョイスの文学を一様に崇拝していた。またアメリカにおいても、ジョイスに関心を持つ作家が多く、1933年の猥褻裁判で勝利をもたらすことになり、ジョイス研究が急速に推進された。それと対照的なのがイギリスであり、ジョイスに対する嫌悪を示していた。これはイギリスが守ろうとしていた文学的伝統にジョイスが適合しないことに加え、ジョイスがアイルランド人であるとう出自にも関係することであった。 そのような世界の状況もあり、アイルランドにおけるジョイスの文学への評価も少しずつ変転することになる。本年度は世界的な事情も念頭に、アイルランドのジョイス受容を検討した。
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Strategy for Future Research Activity |
当初の予定どおり、アイルランドにおけるジョイス受容を順次検証する。そのため平成27年度はジョイスが没した1941年から、アイルランド人作家としてジョイスを承認した1982年までを検証する。アイルランドは、1960年代の経済的な転換を経て、1973年のECへの加盟、さらにアイルランドが世界に門戸を開き、ジョイスをアイルランド人作家として承認した期間である。1962年にはジョイス・タワーも開設され、パードリック・コラムやパトリック・カヴァナたちがジョイスの存在を認めていた。第一回ジェイムズ・ジョイス国際シンポジウムもダブリンをその地として、1967年に開催されている。このようにして、緩やかながら、アイルランドにおいても、ジョイスへの関心が高まっていた。1982年のアイルランド人作家としてのジョイス受容は必然的な決定であった。 にもかかわらず、この時代のアイルランドにおけるジョイス受容は、アメリカのジョイス研究への対抗にすぎなかった。アメリカではすでにヒュー・ケナーやリチャード・エルマンという学者が見事な研究書を刊行していた。ジョイス研究に関わる資料もほとんどアメリカに集められていた。アイルランドでジョイス研究に貢献可能であったのは、地理的・歴史的な情報の提供にすぎなかった。またジョイス受容はアイルランドを開かれた国家へと始動させる一方、カトリック教国として守ってきた文学的伝統を希薄にすることにもなった。この事情に鑑み、プロテスタント側から修正主義が提起され、孤高な文学者としてのジョイスが語られた。このようにジョイスが没した1941年から1982年のジョイス受容にいたる40年間ほどは、アイルランド内部での文学的伝統の論争に終始していた。平成27年度はその実際を詳細に検証し、ジョイス受容をめぐるアイルランドのジレンマを明らかにしたい。
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Causes of Carryover |
研究協力者であるUCDのAnne Fogarty教授とダブリンで相談する予定であったが、当人がサバティカルで、IASILの年次大会で日本に招聘されたため、早稲田大学で会見した。そのためダブリンへの出張・調査が不要であった。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
27年度はチューリヒのFritz Sennと会談する予定であるので、その帰りにダブリンにて、研究の流れについて、再度、Anne Fogartyと相談するつもりである。そして不足している部分の調査を行いたいと思っている。残金はその経費に使用させていただきたい。
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Research Products
(3 results)