2014 Fiscal Year Research-status Report
東アジア古代・中世における境界意識と仏教信仰の研究
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26370755
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Research Institution | National Museum of Japanese History |
Principal Investigator |
三上 喜孝 国立歴史民俗博物館, 大学共同利用機関等の部局等, 准教授 (10331290)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 四天王信仰 / 境界意識 / 東アジア世界 |
Outline of Annual Research Achievements |
韓国のフィールド調査としては、国立中央博物館における所蔵資料調査を行ったほか、益山の弥勒寺址、王宮里、帝釈寺址などの踏査や、百済の王権を守護する寺院の役割について理解を深めた。 また国内では、とりわけ9世紀の山陰地方における四天王法の広まりについて考察した。出雲国においては、出雲国庁跡の西側、島根県松江市山代町に所在する四王寺跡が、貞観9年に建立が命じられた四天王寺(『日本三代実録』)に相当する可能性が指摘されている。四王寺跡は、『出雲国風土記』にみえる、出雲臣弟山建立の新造院にあたることが通説になっているが、この寺が9世紀後半以降に四天王像安置の寺となった可能性も指摘されている(『風土記の丘地内遺跡発掘調査報告Ⅴ 島根県松江市山代町所在・四王寺跡』1988年、島根県教育委員会)。 次に伯耆国についてみてみると、伯耆国庁跡の北、標高171.6mの四王寺山頂北寄りに、平安時代の寺院跡である四王寺跡があるという(『日本歴史地名大系 鳥取県』平凡社)。現在も山頂に堂が残っているが、これまでに数度の火災を受けており、当時の位置や規模は不明である。ただし、国庁の北側の山頂に置かれた点は大宰府大野城とも共通しており、日本海をのぞむ地に立てられたことは、貞観9年の記事(『日本三代実録』)にも対応している。 長門国の場合は、山口県下関市長府の長門国庁推定地の北側に、やはり四王司山があり、この点も伯耆国の場合と共通している。 こうしてみてくると、山陰地方に残る平安時代の四天王寺の痕跡は、いずれも国府に近接し、「地勢高敞瞼瞰賊境」という『日本三代実録』貞観9年の記事とも対応する。9世紀半ばに日本海側諸国で行われた四天王法、ならびに四天王寺の建立は、いずれも国家による政策的意図のもと、かなり画一的に進められていったことが明らかとなった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
上記の通り、今年度は韓国の王都に附属する寺院の踏査と、国内では山陰地方の国府に隣接する四天王寺の考察などを行い、おおむね順調な成果を得た。とくに後者に関しては、2014年7月26日に、島根県松江市の出雲風土記の丘を会場に行われた第25回出雲古代史研究会の大会(年一度開催)において、「古代の境界意識・対敵意識と仏教信仰~9世紀の日本海側諸国における四天王法をめぐって~」と題する研究発表を行い、研究の成果を公表することができた。なおこの研究発表の内容は、当研究会が発行している雑誌『出雲古代史研究』に公表される予定である。 また、9世紀における国土意識の変容と四天王信仰の広まり、そして四天王寺の変容について、三上喜孝「境界世界の仏法 -四天王法の広まりと四天王寺の変容」新川登亀男編『仏教文明と世俗秩序 -国家・社会・聖地の形成』(勉誠出版、2015年3月)にまとめた。この中で、平安期以降の難波の四天王寺が、本来の起源説話とは別に、朝鮮半島諸国などの外敵調伏を目的として四天王像を造立したという言説が『四天王寺縁起』(11世紀初頭成立)の中にみえることに注目し、9世紀半ば以降の四天王信仰の広まりが、都に近い四天王寺にも影響を与え、本来の起源説話とは異なる言説を生み出したことを明らかにした。このように今年度は、本研究に関する研究成果が2点ほど公表されていることからも、研究の目的はおおむね順調に進展しているといえる。
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Strategy for Future Research Activity |
今後も引き続き、古代から中世にかけての国土意識と仏教信仰の関係を、東アジア仏教史の中に位置づけながら考察することを目標とする。具体的には、引き続き韓国の古代中世の仏教思想、とりわけ国土守護や外敵調伏にかかわる仏教思想に注目し、文献の収集や資料調査などを行う。 対敵の思想としての仏教信仰は、中国から東アジア世界に広まっていったと考えられるが、中国でどのように仏教の対敵(外敵調伏)思想についても検討する必要がある。このことが最も明確にわかる地域が、中国の四川地域である。ここには唐代(8~9世紀)の毘沙門天像が、「対敵」の説話と対応する形で数多く残っている。当該地域における毘沙門天信仰の広まりの背景についても、現地調査をおこなう中で解明していく必要がある。 国内に関しても、引き続きフィールド調査を進めていくが、その一方で奈良~平安期の、国土鎮護としての仏教思想を今いちどとらえなおす必要がある。なかでも、護国思想の経典としてよく知られている金光明最勝王経の受容とその広まりについて検討し、これが奈良~平安期における国土意識の醸成にどのような影響を与えたかなどについて考察する。また可能であれば、この護国思想が、そもそもどのように日本列島に受容されたのかを知る上で、同時代の朝鮮半島における金光明最勝王経の受容と広まりの問題についても、史料を博捜しつつ検討していきたい。研究の成果に関しては、昨年度と同様、学術雑誌や研究論集、学会発表など、さまざまな媒体を通じて適宜公表していきたい。
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Research Products
(8 results)