2014 Fiscal Year Research-status Report
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26370765
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
平 雅行 大阪大学, 文学研究科, 教授 (10171399)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 源頼朝 / 寛伝 / 性我 / 勝長寿院 / 永福寺 / 鎌倉幕府 / 守覚 / 文覚 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度は本研究の初年度であるため、鎌倉真言派僧侶に関わるデータ収集を主に進めた。また、鎌倉前期の主要な人物については、当初の予定通り具体的な分析を進め、以下の知見を得た。これらについては、平成27年度に論文として発表する予定である。 1. 源頼朝は寿永元年(1182)、内乱で混乱していた日光山別当に、従兄弟の寛伝(熱田宮司家出身)を補任した。この記事は後の記録に拠るものとはいえ、同年に頼朝は従兄弟の円暁を招いて鶴岡八幡別当に補任しているので、この話は信憑性が高い。ただし熱田宮司家で源氏方の中心であった藤原忠兼は、寿永4年に源行家に与同して失脚したと考えられ、寛伝の早期の改替もその余波と思われる。 2. 鎌倉幕府と朝廷との紐帯役を文覚がつとめたこともあり、文覚の弟子である恵眼房性我に対する源頼朝の信任は非常に篤かった。文治元年(1185)、建久3年(1192)には勝長寿院別当・永福寺別当に任じて、頼朝の護持僧としている。建久2年の仁和寺御室守覚から性我への伝法灌頂は特に重要であり、源頼朝と後白河院との協調のなかで実現している。頼朝はこの伝法灌頂によって、鎌倉真言派の基盤を築こうとした。しかし後白河・頼朝が亡くなると、後鳥羽院は文覚を流罪に処した。性我は神護寺をまもるべく上洛したが、これといった成果もないまま間もなく死没している。 このほか論文「専修念仏の弾圧と法然教団」では、北条泰時の時代に幕府が朝廷と協力して専修念仏の弾圧を行い、これ以降、幕府が専修弾圧を主導したことを指摘した。また論文「日本中世における在俗出家について」では、鎌倉将軍や得宗の出家・死に殉じて出家することが御家人の間で盛行した実態を明らかにした。本研究は、鎌倉幕府の宗教政策の実態とその時期的変化、および幕府と朝廷の宗教政策の有機的な連関を解明することを目的にしており、これらの論文もその研究の一端を成す。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は4年間の研究計画の初年度に当たる。当初の研究計画によれば、本年度は、①鎌倉真言派にかかわる史料収集を中心に研究を進める、②源氏将軍時代については史料を精査し、具体的な検討に入る、とのことであった。 本年度が、長年つとめた大阪大学の退職と重なったため、①史料収集がやや遅れ気味なところがあるが、この程度の誤差は予想の範囲内のことであり、特に支障はない。他方、②源氏将軍時代の鎌倉真言派の検討は予定以上に順調に進んでいる。特に寛伝や性我については、かなり重要な事実を明らかにすることができた。これらの検討結果は、平成27年度に論文として公表することができる見込みである。 以上から、当初の研究計画のとおり、研究はおおむね順調に進展していると、自己評価することができる。
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Strategy for Future Research Activity |
研究の進展は順調であり、当初の計画どおりに研究を進めてよい。当初の研究計画によれば、平成27年度の研究計画は、①鎌倉真言派に関する鎌倉中後期の史料収集を進める、②平成26年度の検討結果をもとに、源氏将軍時代の鎌倉真言派について、論文としてまとめ公表する、③九条頼経時代の鎌倉真言派について具体的な検討を進める、の3点であった。 このうち①と②については、特に支障なく進めることができるだろう。今年度、特に重要となるのは③である。これまでの研究により、九条頼経時代には京都の九条家の支援のもとで鎌倉真言派が相当な規模で隆盛したこと、およびその隆盛の結果、鎌倉真言派が京都の顕密仏教界に逆流していったことが判明している。定親・良恵・厳海をはじめ、事蹟を明らかにすべき人物が非常に多くなるうえ、東寺・随心院・東大寺・大伝法院と鎌倉真言派との関係についても、多面的な考究が必要となるだろう。 なかでも、鶴岡八幡宮別当定親の検討は重要である。彼は鎌倉真言派の中心人物として活躍したが、宝治合戦(1247年)に連座して鎌倉から追放される。しかし、その後も定親は京都の顕密仏教界の重要人物として活動を継続している。このことは、鎌倉での定親の活動のうち、幕府との関わりのなかで捉えるべきものと、定親の個人的活動として理解すべきものとを、腑分けすることが必要なことを示している。定親の事例は、鎌倉真言派の僧侶の行動を理解するうえで、きわめて重要なものとなるだろう。それだけに関連史料を徹底的に収集して、的確な検討が必要となる。 これらの検討結果を、平成28年度に論文として発表することが可能なように、十分な準備が求められる。
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Causes of Carryover |
「自己評価」の欄でも述べたように、本年度は、26年間つとめた大阪大学の退職と重なってしまった。定年退職にまつわるさまざまな行事が実施されたこともあり、当初計画とくらべて、史料収集がやや遅れ気味となった。その結果、史料の焼き付け費が予定よりも大きく下回り、かなり多額の次年度使用額が発生することとなった。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
平成27年度は史料調査と史料収集を本格的に進めて、その遅れを取り戻したい。 新たな赴任先である京都学園大学は、大阪大学にくらべ本研究課題に関連する図書や史料が十分でない。日本中世史の関連図書、および仏教史関連図書、さらに未刊史料(写真)を積極的に購入して、その不足を補いたい。
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Research Products
(9 results)