2014 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
26370770
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Research Institution | The University of Shiga Prefecture |
Principal Investigator |
水野 章二 滋賀県立大学, 人間文化学部, 教授 (40190649)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 中世史 / 虫害 / 里山 / 風水害 |
Outline of Annual Research Achievements |
虫害は、昆虫が気候条件などによって大発生したもので、「虫雨」「虫ふり」など、雨のように降ると表現されたが、史料上では「蝗」が農業害虫の総称として使用されており、どのような昆虫による被害であったかは不明なことが多い。しかし六国史などの一部にはかなり具体的な害虫の形態や発生状況・被害内容などが記される場合があり、アワヨトウやウンカであったことが確認される。またアワヨトウの天敵や、捕食関係を意識した記述もみられる。古代では害虫発生を中央政府に記録・報告する制度が存在していたが、平安期以降になると、虫の種類が多く識別され、情報も蓄積されていく一方で、輪廻転生などの仏教的な自然観・昆虫観も深く浸透していく。中世では仏教の浸透により、害虫となった怨霊や虫の霊を祀り、送るという意識が強くなる。中世後期には、地域社会におけるローカルな害虫の表現も多く登場するようになる。 平安期以降、樹木をともなう屋敷地や植生に覆われた集落が史料に多く確認できるが、里山の一部や、小さな里山である屋敷林は、燃料・肥料などの資源獲得のためだけではなく、風水害対策などの役割も果たしていた。風水害を強く意識した土塁・堀や屋敷林を巡らした屋敷は、遺跡からも確実に中世まで遡ることが確かめられる。茅・藁などの自給的素材によって葺かれた民衆家屋の屋根は耐久性が低く、樹林などによって風水害や火災への対策がなされていたと思われる。中世の民衆は樹林の機能や未熟な工学的・農学的技術などを総動員して、災害に立ち向かっていたが、民衆の技術・知識は宗教的対応のなかに組み込まれ、意味づけられて機能していた。やがて虫・風などに関する在地レベルでのさまざまな経験的知識が蓄積され、新たな技術が獲得されていく過程で、次第に宗教的認識・対応が相対化されていった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
中世社会では、風・虫・旱・水害は生産基盤に大打撃を与える日常的な農業災害として広く認識されていたが、虫害や風害については、その実態や発生の頻度・時期などの基礎的事実についてさえ、ほとんど研究がなかった。そのため、これまで出版された災害史料集や文書・古記録データベース、自治体編纂の災害史料・記録などから、古代・中世の虫害史料を可能な限り抽出して、虫害の実態を明らかにした。 虫害は人力での駆除は不可能で、発生のメカニズムが理解されていないため、神の怒り・祟りと理解された。ウンカのように、一時的に大発生する昆虫には冬の寒さに耐えられない種類も多く、大発生しても、自然のサイクルのなかで次第にバランスが回復されていく。このような自然のサイクルによる回復こそが、神仏の機能であり、宗教的対応の本質であったことを明確にした。 樹木をともなう屋敷地・垣内の史料や、家屋・集落をとりまく植生を描いた絵巻物の表現を検討し、樹林の災害防止機能について明らかにした。里山や屋敷林の持つ意味については、文献史学ではほとんど検討されてこなかったが、樹木をともなう屋敷地・垣内の史料はかなり多く、その役割も燃料・肥料・食料などの資源獲得のためだけではなく、風水害・火災対策などの機能も果たしていたことを明確にした。また家屋・集落をとりまく植生を描いた絵画史料の表現を検討し、特に越後国郡絵図には防風林・防風垣が描かれていることを確認した。また長崎県佐世保市黒島地区および長崎市外海地区の現地調査を実施し、防風林・防風垣や、風害を強く意識した集落立地や建物のあり方を検討した。
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Strategy for Future Research Activity |
今年度の成果をふまえ、災害史料集や文書・古記録データベース、自治体史などの災害史料・記録などから、古代・中世の虫害・風害史料の抽出を継続して進める。また古辞書、説話や和歌などの文学作品などからも、虫や風認識・信仰に関する記述を収集する。 虫害に関しては、昆虫遺体を含む遺跡のデータを収集するとともに、中・近世の代表的な虫害対策である虫送り行事の現地調査や史料収集を行ない、その成立過程を考察する。虫送り行事は、虫害の発生を怨霊などによるものとみなして、仏教の力で霊を送るという儀礼で、確実に中世まで遡る。御霊信仰・大般若信仰や念仏などと結びついた宗教的な虫害対応の核心であったが、全国的に分布していたことが確認されている。人力による駆除以外に技術的な防虫手段の乏しい虫害では、特に虫認識やそれと密接に関わる宗教的対応の解明が重要になる。 風害についても史料収集・分析を進めるが、特に日本海岸の集落立地に注目する。石川県羽咋市の寺家遺跡・金沢市の普正寺遺跡、鳥取県湯梨浜町の長瀬高浜遺跡などからは、中世後期に砂丘が急速に発達し、遺跡を埋没させている事実が共通して確認でき、また奥州の重要港であった十三湊の港湾機能が衰えるなど、気温低下にともなう季節風の強まりによる飛砂増大が大きな影響を与えたと推測される。 風害も建築技術の未熟な段階では日常生活に大きな影響を与えたが、集落立地の選択や防風林・防風垣の設置、風の神信仰などの、さまざまな対応がなされていたことが推測できる。遺跡や現景観における家屋配置・構造に与えた風の影響を確認するとともに、風神堂などの風の神信仰に関する史料の収集も行う。
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Causes of Carryover |
地元との日程の調整がつかず、日本海岸での風害に関わる現地調査が実施できなかったため。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
日本海岸での風害関係調査を追加して実施する。
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Research Products
(2 results)