2017 Fiscal Year Annual Research Report
A New Study on History of the Chu State as seen from New Excavated Chu Bamboo-slips
Project/Area Number |
26370834
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
工藤 元男 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (60225167)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 清華簡 / 繋年 / 申公子儀 |
Outline of Annual Research Achievements |
清華簡「繋年」第八章にみえる晉・秦間の「コウ之役」(前627)に関する史料系統の検証結果を踏まえ、この戦役後の秦と楚の関係の変化について検討を進めた。その検討に関して、「繋年」八章末尾に登場する申公子儀に注目した。その検討後に入手した李学勤主編『清華大学蔵戦国竹簡(陸)下冊』(中西書局、2016年)の中に、子儀に関する新資料「子儀」篇が収められている。その【説明】によると、この資料は現存二十簡、簡長は41.5㎝~41.7㎝の間、幅約0.6㎝、簡背に編号がなく、篇題もない。各簡の保存は基本的に完整で、編聯によって内容はほぼ連なっているが、一部の内容に断絶が認められ、欠簡が疑われるという。 本篇の内容は春秋時代の戦役として史上有名な「コウ之役」の後に関するものである。晉は成周への交通路を確保して、中原への進出を図ったが、これに対して楚も北上を進めて、宋の都を包囲する。晉の文公は宋を救援するため、斉・秦と共に城濮で楚を大破し(城濮之役)、楚の北進を阻止する。その帰途、晉文公は践土に周の襄王を招き、会盟する。文公の死後も晉は中原諸侯の盟主として、楚に対抗したが、これを西から牽制するのが秦である。秦は穆公のとき、晉文公の死に乗じて鄭に侵入しようとする。しかし晉襄公は秦をコウに破り、その意図を挫いた。 「子儀」篇は、この戦役の後、秦穆公が楚との好を結ぶ路線を選び、その交渉のため捕虜になっていた楚の子儀を送り帰したことを述べた内容である。その記事はその壮行における秦穆公と子儀の対話文となっており、「コウ之役」前後における秦・晉・楚の三国関係に関する重要な史料とみなされる。ただ、その対話文はきわめて難解で、具体的な背景に関する記述もみえないようなので、理解がさらに困難となっており、今後とも継続してさらなる検討が必要となっている。
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