2015 Fiscal Year Research-status Report
前近代社会における人の識別について―コンバウン王国を事例に―
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26370838
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Research Institution | Aichi University |
Principal Investigator |
伊東 利勝 愛知大学, 文学部, 教授 (60148228)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 前近代社会 / コンバウン王国 / 窟院壁画 / 101の人種 / ジャータカ / 異人 / 民族概念 |
Outline of Annual Research Achievements |
平成27年7月に「101の人種」が描かれた4基の窟院とこれに関連する壁画の現地調査,及び9月に大英図書館で,この用語法についての文献調査を行い,当時,「人種lu-myou」という言葉が,いかなる現実を出現させていたかを検討しつつ,これが人種について,現在のわれわれが有する「民族」と同様もしくは、その原型にあたるものであったかどうかを考察した。その結果,壁画に「外国人」が登場する場面から,「外国人」のみならず、異人というものについて,われわれとは違った理解がなされていたことが明らかになった。 その結果,「ポルトガル人」や「カレン人」など,明確な存在を目にしているにもかかわらず,我々と共通するようなイメージを形成するにはいたっていなかった。すなわち現代でいうエスニックな要素に着目した水平なかたちでの人種観,すなわち民族概念が存在していなかった。やはり「101の人種」は具体的な姿の反映というより,王権を正統化するための世界観を形成するうえにおいて必要な概念の一つであったことが判明した。 つまり,当時において○○人はその性格に基づき,こうした言語を話し,こういう恰好をするという理解の仕方がなかった,成立していなかったということになる。○○人なる言葉によって,その人類学的内容が記述され,相互関係のなかで典型的○○人像つまり「民族衣装」が創り上がられるのは,植民地以降のことであると考えてよい。 要するに18世紀に描かれた窟院壁画の人物を,これまでの研究のように「ポルトガル人」や「中国人」と判断するのは,近代以降に出来上がった民族概念が,前近代を判断するパラダイムを作り上げていることを暴露している。これは民族という概念は近代において成立したものであるにもかかわらず,それを生み出す胚子は,前近代に存在したという考え方にも通じると結論付けられた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
計画では,2年目として,ミャンマー中央部に位置するパコックー県やザガイン県などの,エーヤーワディー川に沿った地域に存在する,18 世紀から19 世紀はじめに建設された窟院の壁画にある「101 の人種」の画像を手がかりに,「人種」が描かれたことの政治的意味の検討に向かうことにしていた。当該窟院における壁画全体の構成と,「101 の人種」が如何なる場面で登場するか,またすべての人種が描かれているか,もし一部であれば,それは101 種の内のどれであるか,同一人種の風貌に違いはないか,などを検討し,これが現実に基づくものなのか,それとも想像の産物であったのかを明らかにしていくとしていた。 現地郷土史家ナンフライン氏の協力を仰ぎ,新窟院壁画事例の発見にも努め,新たに1基の存在を確認し,これらから得られた,当時の視覚化された人種分類の検討結果と,初年度の文献調査を総合し,「101 の人種」という場合の「人種」の意味を明らかにすることができ,これの現代的意義を提示することができた。 ただ本年度に大英図書館で行った文献調査では,初年度に発見していた事例以上のものを新たに発見することはできなかった。また予定していたコルカタでの史料調査が遂行できなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
当初の予定通り,18 世紀後半から19 世紀前半のコンバウン王国で使用された人種という言葉と,社会の構成原理との関係の考察に向かう。これは実際の行政施策のなかでの人の区別・差別の様相について,特に地方村落コミュニティのなかでのアフムダーン(王務員)の処遇を検討すれば,その一端が明らかになるはずである。 地方の村落に定住し,王室権力を直接支えたアフムダーンには戦争捕虜として周辺各地から連行されてきた異「人種」が数多く含まれており,村落社会はさまざまな「人種」の混住する場であった。勅令や上奏文,国務院裁定録などで明らかになるのは主としてアフムダーンと王室との関係に限られるが,裁判録や借金証文にはアフムダーン間のみならず他の階層の住民との関係が扱われており,これを分析することにより異「人種」の社会的位置づけが明らかになり,「人種」概念がどのように作用していたかを知ることができよう。 こうして最終的に,当時のコミュニティ社会における「人種」の機能を,社会構造の解明と合わせて明らかにし,「人種」が近代以降の「民族」と如何なる関係に立つのかを検討し,1~2年目の研究で得られた成果を確認する。
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Causes of Carryover |
平成26年度に予定していた大英図書館での史料調査を平成27年年度に行うことができたが,平成27年度に予定していた,インド古代における「人種」分類に関する,コルカタでの史料調査が,校務等の関係で遂行できなかった。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
平成27年度における研究結果により,現在でいう社会構成要素としての人種と,氏族や部族さらには語族などとの関係解明は,ミャンマーでの史料調査により,ある程度可能であるという見通しがついた。今後(平成28年度)はミャンマーでの史料収集を強化し,「人種」の分類法に関する事例をできるだけ集め,近代以降の「民族」が「文化」や「領土」概念の成立と軌を一にしていたことに鑑み,「人種」がどのような社会システムと相即的関係にあったのかを,現在でいう「異民族」が混住するのが常態であった当時の村落社会レヴェルで形成されたコミュニティの構造解明を通して明らかにしていく。
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