2014 Fiscal Year Research-status Report
20世紀前半ドイツにおける戦争と社会国家―ナチ期の家族政策を手がかりに
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26370881
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Research Institution | Aichi Institute of Technology |
Principal Investigator |
北村 陽子 愛知工業大学, 工学部, 准教授 (10533151)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 家族支援 / 世界大戦 / 社会国家 / ドイツ |
Outline of Annual Research Achievements |
ナチ期の家族政策に関する研究の出発点として、本年度は戦争と女性の関係を明らかにすべく、第一次世界大戦期およびその後の兵士遺家族支援と、担い手としてまた被支援者としての女性に関する調査を進めた。官報や官庁の出版物をもとに遺家族支援の概要をとらえ、また戦争犠牲者団体の機関紙や同時代に遺家族支援の実務を担った人びとの著作を通して、遺家族支援の実際や当事者たちの声を積極的に拾うこととした。 遺族のなかでも一番多い寡婦たちは、軍事年金の受取手ではあったが、その年金額は自立した生活を営むには不足していたため、自らで生計を立てることを余儀なくされていた。遺家族支援は、寡婦への就労斡旋とそのために必要な職業教育(訓練)を無料で行なうことを中心に構築されたのである。また、遺児(認知された婚外子も含む)には年金支給と最長24歳までの学校教育にかかる費用の一部弁済、必要な場合には職業教育(訓練)を受けることもできた。戦没兵士の両親および兄弟姉妹に関しては、兵士による扶養の事実があった場合のみ年金支給の対象とされた。ただしこの年金給付は、自立した生計に足るものではなかった。 これらの遺家族支援制度による援助は、扶養者たる兵士(一家の夫、父、あるいは息子)を喪失したことから生じた、生計不安を遺族自らができるようにするための援助であった。つまり国家は、軍事年金というかたちで、兵士遺家族をサポートはするが、丸抱えで面倒を見るわけではなった。遺族たちは、こうした自力救済方針への不満を、年金額引き上げ要求という形で表したが、従来にないほどの戦没兵士数になったことから、第一次世界大戦期には年金額の引き上げが物価上昇額を相殺するほどには行なわれなかった。遺家族の不満は、1920年代を通じて少しずつ積み重なり、優遇を約束したナチに傾倒していくのである。以上の点を2度の学会報告で紹介した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度の課題は、ナチ期以前の家族政策の概要をおさえることであった。ベルリン・フランクフルトでの史料調査、文献調査、そして国内の大学での官報や社会政策関連の雑誌を閲覧して、必要となる情報を収集した。 第一次世界大戦期の兵士遺家族支援に関して、帝国立法と自治体の条例などをもとに調査を進め、その全体像を把握することができた。戦争犠牲者への援護法は戦後に全国立法として定められたが、サーヴィス給付は自治体レベルで決定するシステムが残存した。しかし他方で租税徴収権がライヒに委譲されたことにより、自治体の歳入がライヒに依存することとなり、財政上の不安定さから必要と思われる遺家族支援が施行できないことも見られた。 国家援護の範疇から外れる兵士遺家族および通常の窮乏する家族への支援は、すでに数世紀にわたって自治体業務となっていた救貧と、20世紀初頭あたりから徐々に制度化されていた福祉で対応することとなった。ヴァイマル期のこの3つの柱からなる家族支援のうち、救貧と福祉は、貧困に自ら咎があるか否かが問われており、障害、病気、怪我、老齢などの理由で労働不能あるいは困難であれば福祉を、労働可能にもかかわらず労働していない場合は救貧を受けることとされた。 以上のような制度変遷を確認したうえで、1922/23年のハイパーインフレーション期と1929年以降の世界恐慌期という二つの財政破たん期における家族支援政策の変動を確認した。兵士遺家族支援は、戦争終結後は時間の経過とともに対象者が減少した。一方でインフレ期には、自らの咎によらない窮乏が増えたため、大都市を中心として家族支援制度は福祉に重心を移していった。世界恐慌期には、財政破たんが一層明確となって給付が実質的に目減りしたため、兵士遺家族だけでなく一般の人もヴァイマル政権への不信をつのらせ、あたらしい政権を期待する心情が強くなったことまで調査を進めた。
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Strategy for Future Research Activity |
ナチによる政権奪取後の家族支援政策を、それまでの政策との関連から分析することと、特殊な人種主義がどの程度まで政策に変化を及ぼしたかを明らかにすることをめざす。そのために、ベルリンの連邦文書館で家族政策に関する史料だけではなく、ナチ党の宣伝政策・人種思想に関しても調査を進める。自治体におけるナチ党の影響の調査も必要となるため、フランクフルト市立文書館にも継続して調査に赴く。同時代の文献も探索・閲覧して、1933年以降のドイツにおける人種主義思想と政策の関連を明らかにすることをめざす。 その際には、世界恐慌期から続く経済の疲弊が重要な背景をなすことから、1929年以降の政治制度、経済制度、家族支援政策、国家援護および福祉の受給者の思いなどを、その後の時代との連続性・関連性を念頭に、もう一度精査することも必要となってくる。本年度の調査で明らかになった点をふまえて、以上の諸点について調査することとする。 とくに当事者の思いは、兵士遺家族に関しては戦争犠牲者組織の機関誌や個別モノグラフから、福祉受給者であれば自治体の福祉支援員の活動報告書などから、それぞれ見て取ることができるため、関連する行政史料や文献の探索も、引き続き行なっていく。 ナチ党の人種主義政策に関して、1935年のいわゆるニュルンベルク法により、ユダヤ教徒からの市民権剥奪が合法化されて以降は、自治体の福祉においても大きな変化が現れることが予想される。具体的には「福祉」の名のもとに、知的・精神障害者が安楽死させられたり、強制断種の手術を同意なく実施された事実がある。行政史料についても文献についても、この時期前後の調査に力を入れて、誰がナチ期の家族支援政策の対象者として包摂されたのか、排除されたものとの境界線はどのように引かれたかを明らかにすることも課題とする。
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Causes of Carryover |
次年度には、ドイツでの現地調査を夏と冬の二度に分けて行なうことを考えている。2015年は第二次世界大戦終結から70年の節目であり、第二次世界大戦期の外交文書の多くが公開され始めるときである。それらをいち早く調査するため、過年度に使用しなかった金額を調査旅費に上乗せして、二度目の調査を実施することを考えた。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
現地調査は、2015年8月から9月にベルリンとフランクフルトで2-3週間、2016年2月に現代史研究所のあるミュンヘンと、フライブルクにある連邦文書館軍事資料館での10日間ほどの調査を予定している。
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Research Products
(6 results)