2015 Fiscal Year Research-status Report
20世紀前半ドイツにおける戦争と社会国家―ナチ期の家族政策を手がかりに
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26370881
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Research Institution | Aichi Institute of Technology |
Principal Investigator |
北村 陽子 愛知工業大学, 工学部, 准教授 (10533151)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 家族支援 / 世界大戦 / 社会国家 / ドイツ / ナチズム |
Outline of Annual Research Achievements |
ナチ期の家族政策に関する分析を進めるべく、本年度はナチ期前半つまり政権を奪取した1933年から第二次世界大戦が終結する1945年までの兵士遺家族支援の変遷を調査した。なかでも戦争障害者への職業支援は、家族の生計維持に不可欠だと見なされていたことから、もと兵士たちの家族にとって帰還した家計支持者の男性(夫、父、息子)が果たした役割を明らかにすることをめざして史資料の分析を進めた。史資料として用いたのは、官報や官庁の出版物、また戦争犠牲者団体の機関紙や同時代に遺家族支援の実務を担った人びとの著作である。 1919年の結党以来、ナチ党は人種主義を明白に唱えており、その方針は、第一次世界大戦の戦争犠牲者援護を定めた全国援護法(1920年制定)が1934年に改訂されたときに条文として盛り込まれた。たとえば精神障害が戦争障害には認定されなくなった。またユダヤ人からドイツ国籍を剥奪したニュルンベルク法が1935年に制定されると、この条項が援護法対象者にも適用され、ユダヤ人は戦争障害者とはみなされなくなり、遺族も同様に遺族年金を受給できなくなった。このように戦争の犠牲者を国家が援護する方針は維持しつつも、ナチ党のイデオロギーにしたがって、党が認めた人員である「健康」な「アーリア人」からなる「民族共同体」の構成員にふさわしくない集団は、援護対象から外されたのである。 他方で、ナチ党は戦争障害者を「第一の市民」として優遇する方針を当初から示していた。戦没兵士遺族は「英雄的な死」をもって祖国に貢献したとして、同じく優遇を約束していた。しかし法律による援護は、現実の生活面においては実質的な支援とならないことが多かった。たとえば除隊後の再就職は、たしかに職の斡旋はそれなりにあったが、本人の希望とは異なる場合も多々あった。以上の点を含めて、学会で一度報告し、また研究論文として共著論文集で発表した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度の課題は、ナチ期の家族政策の変遷を、戦争犠牲者への援護を中心におさえることであった。そのために、フランクフルトでの史料調査、文献調査、そして国内の大学での官報や社会政策関連の雑誌を閲覧して、必要となる情報を収集した。 対象となるナチ期の兵士遺家族支援に関しては、第一次世界大戦の戦争犠牲者援護を定めた全国援護法(1920年)およびその改正法と、戦後も残された軍隊の退役兵とその遺家族に向けた軍事援護法(1921年制定)、その軍事援護法を発展させた1938年に制定され1939年の第二次世界大戦開始直後に改正された国防軍援護法の2本の法律からなる。 これらの法律のほかに、援護法の対象とならない軽微な障害と判定された除隊者とその家族、そして出征兵士のいない家族のうち窮乏するものへの支援は、自治体の救貧制度で対応するか、ヴァイマル末期にいくつかの都市で実現したスティグマ化されない福祉制度のもとで行なわれた。市民権剥奪などの烙印づけが避けられない救貧は措くとして、福祉制度は戦争犠牲者への国家援護と同じく、ナチ期には人種主義にもとづいて対象が限定された。社会のなかでユダヤ人と障害者の排除が進むと、同様に公的支援の対象からもこれらの人びとが除外されるようになった。ユダヤ人についてはホロコーストとして、障害者については事実上の隔離となる障害者「福祉」施設への収容や強制断種、安楽死の方法で、それぞれ社会から排除されたのである。 以上のような制度変遷とナチ党のイデオロギーにもとづく排除方針の概要をおさえたうえで、ナチ期における家族支援政策の中核である戦争犠牲者への国家援護の変容およびそのほかの公的支援のあり方を確認した。そして戦争犠牲者への支援でもそのほかの公的支援でも、統治期の早い段階で人種主義の方針が徹底されたことを史資料から明らかにした。
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Strategy for Future Research Activity |
ナチ期の家族支援政策のうち、戦争犠牲者援護のなかでも遺家族への支援について、さらに精査することをめざす。具体的には寡婦の就労促進という主たる家計維持者を喪った家族への支援について調査を進めたい。男性兵士が戦争障害者として出戻った家族では、彼らが扶養者役割を果たせるようにという方針が貫かれたが、夫を喪った寡婦は、子どもがいる場合といない場合、子どもの年齢に応じた対応が必要であったと想像できるが、どのような違いがあったか、あるいはなかったか。 子どものいない寡婦については、ナチ党のイデオロギーである「アーリア人の子ども出生」を実現すべく再婚が推奨された。このことを示す史料はベルリンの連邦文書館に所蔵されているが、内容はこれから詳細に検討する必要がある。障害者の強制断種や安楽死の実態を明らかにするためには、フランクフルトの市立文書館でさらに史料の調査が不可欠である。 ナチ期は、その後半に第二次世界大戦を経験している。先の大戦(第一次)の戦争犠牲者のみならず、あらたな大戦(第二次)の戦争犠牲者への支援が同時に行なわれている戦時下では、適用される援護法の違いが支援内容の相違としてあらわれてくる。この相違がどのようなものであったかについて、さらに精確に比較検討する必要がある。戦争末期には支援のための費用も手続きに必要な人員も不足しがちであったため、支援が実際にどの程度行なわれたかについても、可能な限り史資料をあたって明らかにすることも、次年度の課題である。 以上をふまえた上で、本研究課題の一番の目的である、ナチ期の家族政策をその前後の時期と関連づけることも、必要な作業となってくる。文献を利用して、占領期から二つのドイツが建国され、それぞれの方針にもとづいて形成された家族支援政策とナチ期との関連性を明らかにする作業にも取り組みたい。
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Causes of Carryover |
本年度は最終年度であり、これまで調査を進めてきた部分をさらに発展させる作業に加えて、第二次世界大戦後の家族支援政策との関連性を調査し、研究課題全体を取りまとめる必要がある。そのためにはさまざまな分野に関する史資料調査が不可欠であり、そのためにはベルリンやフライブルク、そしてコブレンツの各連邦文書館に赴くことと、事例の対象としてフランクフルトでの史資料調査をすることとなる。四つの文書館での調査は一度では難しいため、二度に分けて調査に行く必要がある。その分の渡独費および史資料の複写費および関連する文献の購入費を考慮して、次年度使用額を利用するように取り計らった。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
現地調査は、2016年8月から9月にベルリンとコブレンツの連邦文書館およびベルリンのプロイセン州立図書館での史資料調査に2-3週間、2017年2月にフライブルクの連邦軍事文書館とフランクフルトの市立文書館およびドイツ国立図書館での史資料調査に2週間程度を予定している。
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