2017 Fiscal Year Research-status Report
集団的権利としての「民主主義への人権」の規範的正当性と理論的射程に関する研究
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26380008
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
桜井 徹 神戸大学, 国際文化学研究科, 教授 (30222003)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 民主主義 / 人権 / 国民国家 / シティズンシップ / 移民 / 入国管理権 |
Outline of Annual Research Achievements |
基本的人権の根拠がますます普遍的な人間的属性に置かれるようになった一方,主権原理に基づく国家の入国管理権が自明視されている現代世界では,各々の主権国家は「境界線を乗り越えようとする移住者をいかに処遇すべきか」という難題に直面している。人間の普遍的人格と個別的なナショナル・アイデンティティとを基礎とする2つの矛盾する倫理的要請を,現代社会はいかにして調整できるのか。今年度は昨年度に引き続き,「入国管理権をはじめとする国家の主権的権力の道徳的根拠」を問い直すことによって,この課題に向き合うことを試みた。 セイラ・ベンハビブが指摘したように,民主主義の正統性は常に「普遍的人権の要求と個別主義的な文化的・国民的アイデンティティとの緊張」のもとにある。それは,あらゆる自己立法の行為は――「われわれ国民」を定義する――自己構成の行為でもあるからである(『他者の権利』法政大学出版局,41-42頁)。このような観点から,平成29年9月には,スウェーデンのストックホルム大学で開催された国際ワークショップ「移住者にとっての境界線と人権」で研究報告Does the Idea of a Negative Community on Earth Serve as a Cosmopolitan Right to Immigrate? を行った。本報告では,カントやプーフェンドルフなどの近代自然法論者に見られる自然状態における大地の“消極的共有”の概念が,現代主権国家が想定する国境管理権と緊張関係に立つことを指摘した。すなわち,原初的には「大地は誰のものでもなかった」という消極的共有の観念を,現実の国境線が設定された歴史的経緯の多くが暴力や偶然に彩られていたことと考え合わせると,現代主権国家の国境管理権を厳密に正当化することは容易ではないと主張した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
ルソーが『社会契約論』において,民主的政治共同体の統治主体たる“人民”を安定的に形成するには,その構成員集団が民主的決定過程に粛々と従う旨の“全員一致の合意”を不断に確認することが必要だと論じたことが,本研究の重要な第一歩をなしている。リベラルな民主主義国家の成員資格――シティズンシップ――の範囲をいかにして決定し,またそれをどのように安定的に維持するかが,民主的な政治的共同体の安定と発展にはきわめて重要な課題となることは明らかである。 本研究は前年度まで,現代の民主主義国家が,移民人口の文化的・経済的・政治的プレゼンスの拡大という現代的現象を,「人間としての人格」という普遍的概念に根拠を求めてきた近代の人権原理といかに折り合わせるかという課題を丹念に検討してきた。とりわけ,社会における共生が同一の信仰や公共道徳を共有することではなく,同じ政治共同体の市民であることのみを意味するようになったという点で人間関係が“政治化”していると同時に,国家がますます経済的・社会的プランを軸に組織されているという意味で“非政治化”しつつあるという現代社会のパラドックスに焦点を当てた。 今年度はさらに,地球上のいかなる土地も本来“誰のものでもなかった”という消極的共有の観念に焦点を当て,それが,現代主権国家が当然の権限として主張する国境管理権にいかなる理論的挑戦を突きつけるのかを吟味した。これらの難題の延長線上には,“リベラルな民主主義国家は自らの成員資格をどのように画定すべきなのか”という本研究の中心的課題が横たわっている。 その意味で,本研究は現在まで,おおむね順調に進展している。
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Strategy for Future Research Activity |
20世紀後半以降,基本的人権の根拠がますます普遍的な人間的属性に置かれるようになった一方,主権原理に基づく国家の入国管理権が自明視されている現代世界では,各々の主権国家は,「境界線を乗り越えようとする移住者をいかに処遇すべきか」という難題に直面している。人間の普遍的人格と個別的なナショナル・アイデンティティとを基礎とする2つの矛盾する倫理的要請を,現代社会はいかにして調整できるのか。現代のEU諸国も突き付けられているこの課題に,私たちは「入国管理権をはじめとする国家の主権的権力の道徳的根拠」を厳しく問い直すことによって向き合わなければならない。 今年度は,「近代的な国民」概念が必然的に内包する“抽象性”が,移民の流入に直面する現代民主主義国家にどのような制約を与えるのかを探究する。ドミニク・シュナペールが断言するように,国民とは「生物学的,歴史的,経済的,社会的,宗教的,または文化的な個別の帰属を市民性によって乗り越えようという野心,……あらゆる具体的な決定の手前や向こうで,市民を1人の個人として定義しようとする野心である」とすれば,個人主義に基づく市民権の抽象性を“国民”観念はおのずと背負わされている。それは,近代国民国家の移民政策にいかなる理論的制約を課するのか。この問題が,今年度の本研究の一つの重要な取組みになるであろう。
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Causes of Carryover |
(理由)本年度は,神戸大学国際文化学研究科長および国際文化学部長を務めた関係上,予定していた海外出張および国内出張を控えざるをえなかったため,その出張費の支出が予定を大きく下回った。 (使用計画)平成30年度は,研究図書を購入するほか,7月にボルティモア(アメリカ合衆国)にて開催される国際会議"The Nature and Purpose of Law"に参加して,学術的意見交換を行う等の海外出張に多くの出張費を使用する予定である。
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