2017 Fiscal Year Annual Research Report
Historical Research of Urban Development in 20 Centuries Focusing on Military Space and Industries
Project/Area Number |
26380713
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
武田 尚子 早稲田大学, 人間科学学術院, 教授 (30339527)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 輜重体制 / 輜重兵 / 荷車 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究では、近代都市の軍用地研究として、戦前期の都市における陸軍の輜重体制と輜重用具の変遷について歴史的アーカイブを用いて明らかにした。山県有朋の主導により、陸軍は明治10年代末に外征可能な軍備増強へ方向転換していった。これにより陸軍の兵員数は明治17年(1884)の4万6767名から、明治26年(1893)に7万894名に拡大した。 この間、陸軍省は明治18年(1885)3月14日に輜重局を設置した。軍備拡張に備えることを目的とし、近代軍隊として輸送能力の向上を図る所管の部局が明確になった。翌19年(1886)1月には「輜重兵卒・輸卒仮教則」が定められ、輜重兵卒・輸卒として修得必須の術科・学科が明示されている。そのなかには「車輌修覆法」「車輌修覆作業」が入っており、従前より陸軍で使用していた運送用の車輌は荷車である。人力で曳くので「徒歩車」とよばれ、輜重旗をつけて曳いた。明治13年(1880)に名古屋鎮台では輜重兵第3小隊に新たに63輌の徒歩車輌が配備され、輜重旗の配給も台数分確保するように依頼している。 19年4月に輜重兵卒・輸卒の行動を統監し教練するための『輜重兵操典』別冊「駄馬之部」が定められた。ここで指示されている陸軍の荷役方法は、駄馬の背に直接に荷駄を括り付ける方法である。行軍の際に道路が整備されているとは限らない。車輌は道路、橋梁が通行可能な状況になっていて使用可能であるし、計画的な行軍を遂行できる。道路・橋梁の未整備が想定される場合には、馬の背に括りつけた輜重方法に習熟するのが安全で確実だったのだろう。教練の手引きには、駄馬に荷駄を括り付ける際に嫌がることがあるので、馴れさせて短時間に多くの駄馬を指令通りに動かす方法、つまり調教方法も事細かに記してある。輜重は大隊・中隊・小隊で構成され、輸卒は兵卒の指揮下で軍需物品の運搬に当たるので、実地訓練が重視された。
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