2015 Fiscal Year Research-status Report
新教育運動期における都市計画と学校の遊び環境の公共性に関する比較社会史的研究
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26381053
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Research Institution | Kwansei Gakuin University |
Principal Investigator |
宮本 健市郎 関西学院大学, 教育学部, 教授 (50229887)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
渡邊 隆信 神戸大学, 人間発達環境学研究科, 教授 (30294268)
山崎 洋子 武庫川女子大学, 言語文化研究所, 教授 (40311823)
山名 淳 京都大学, 教育学研究科(研究院), 准教授 (80240050)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 遊び場 / 新教育 / 進歩主義教育 / 田園都市 / アメリカ遊び場協会 / 全英遊び場連盟 / 公教育 |
Outline of Annual Research Achievements |
アメリカについては、ジョセフ・リーを中心に遊び場運動の展開を追った。この運動は、1906年に結成されたアメリカの遊び場協会に集約され、リーは1910年から亡くなる1937年まで、会長を務めた。アメリカ遊び場協会は、アメリカ遊び場リクリエーション協会(1911)、全国リクリエーション協会(1930)へと名称を変更したが、その変更は協会のねらいの転換を如実に示していた。すなわち、遊び場の設置はねらいではなくなり、子どもと青年へのリクリエーションの機会の提供と、市民性教育がねらいになったのである。リーの思想に注目すると、大量の移民がアメリカに流入しつつあったとき、リーは「アメリカ国民」の理念を提示することで、その理念にふさわしくない移民を排除し、同時に、あえて非国民を創出することで、国家への忠誠心を国民に求めた。その結果、遊び場運動が市民性形成のための運動となったのである。 イギリスでは、19世紀末から、ガーデンシティ運動やサバーブシティ運動などが始まり、健康な生活を確保するための都市計画が進み、1919年には住宅・都市計画法が制定された。1925年には全英遊び場連盟が設立された。このような遊びに関する法制度の整備や団体が登場したことで、遊び場の普及と改善が進み、同時に、「遊びの商業化」も進んだ。いくつかの都市に遊具を備えた公園が登場し、以後、遊びが学校教育に取り入れられていったのはこのころであった。こうして、地域社会における子どもの遊びと遊び場の公共的な意義が、次第に認められるようになった。 ドイツについては、渡邊がハンブルグの都市公園の現地調査をした。ドイツ帝国成立後、ハンブルグの商工業は発達したが、空き地や緑地が欠乏した住宅地が周辺部に形成された。そこで美術館長であったリヒトヴァルクなどの主張によって、都市公園の造成、整備が提唱されるようになった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本研究は、アメリカ、イギリス、ドイツの比較が中心である。それぞれの国ごとに、都市計画のなかでの遊び場の設置、遊び場についての思想、遊び場の必要性についての社会的背景を調べ、その特徴と実践例を明らかにしつつある。しかし、それらを比較して、共通点や特徴を見出すところにまでは至っていない。共通点としては、19世紀末に大都市化が出現したこと、それへの対策として公園の設置や住宅の建設を含む都市計画が登場したこと、学校教育における遊びの意義が認められつつあったこと、などである。だが、公園と公教育との関連という公共性の理念については、まだ十分な整理ができていない。 アメリカについては、クラレンス・ペリーの近隣住区論とそれに基づいた町づくりに焦点をあてて調べてきた。ペリーは、1910年代にはアメリカ遊び場協会のメンバーの一人として活動し、校舎の地域開放を推進していた。しかし、1920年代には遊び場設置の運動には深くはかかわらず、小学校を中心においた町づくりを推進した。それが近隣住区の考え方である。そこにどのような教育についての思想があったかは、まだ解明されていない。 イギリスでは、産業革命期に学校に遊びが導入されたこと、20世紀初頭に遊具を備えた公園が登場したこと、1925年に全英遊び場連盟が結成され、それが1932年に王室認可されたことで、公共性をもつようになったことを確認した。しかし、この動向の背後にあった遊びに関する思想を明舞するには至っていない。 ドイツでは、ハンブルクの都市公園の調査を進めている。この都市公園が開園したのは1914年であった。フリッツ・シューマッハー研究所、およびハンブルク州立大学において、関連する資料を収集した。また、ディーター・シェデル氏に会って、その開園にいたる背景と経緯をかなり明らかにしたところである。
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Strategy for Future Research Activity |
アメリカについては、1920年代末にニューヨーク市郊外に出現した町ラドバーンを調べる。アメリカ遊び場運動の指導者であったクラレンス・A・ペリーが提案した近隣住区の代表的な実践例である。小学校を中心においた都市計画であった。子どもの遊び場がどのような意図で設置されたのか、また公園と公立学校との連携がどのように進められたかを具体的に調べる。また、ラドバーンとほぼ同じころ、シカゴの北に出現したウィネトカの町とラドバーンの町との比較も試みる。ウィネトカは、シカゴ市をデザインした都市計画家のベネットが町づくりにとりくんだ。ウィネトカの公立学校は子ども中心の教育実践で世界的に有名になるが、それは、ウィネトカという町の環境を抜きにしては考えられない。ベネットの町づくりと子どもの遊び場の確保、そして、ウィネトカ公立学校における子ども中心の教育との関連を明らかにする。 イギリスでは、1920年代に町づくりの一環として、遊具を備えた公園が当時し、遊びの商業化が起こった。その実態を解明する。つぎに、1925年に設立された全英遊び場連盟の活動とその特徴を明確にする。これは1932年に王室によって認可されたことで公益組織になり、公共性を維持することになったと思われる。この連盟の機関誌を丁寧にたどれば、活動の内容や思想を読み取ることができると思われる。 ドイツについては、ハンブルグにおける都市公園の出現過程を明確にするとともに、それが子どもの遊び場としてどのような機能をもっていたのか、とくに学校教育とどのような連携をもっていたかを確認していく。大都市化が進んだ近代社会においては、学校は子どものアジールとしての機能をもっていたが、学校教育自体が子どもの管理を強めると、学校からのアジールが、さらに出現することになったはずである。公園にはそのような機能が期待されたのだろうか。この点も検討したい。
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Causes of Carryover |
平成27年度に海外に発注した図書が年度内に到着しなかったため。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
平成28年度に納入された図書の購入に充てる。
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Research Products
(13 results)