2016 Fiscal Year Annual Research Report
A Historical Genealogy of Knowledge-generating-state in a Perspective of Comparative Constitutional History
Project/Area Number |
26590003
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Research Institution | International Research Center for Japanese Studies |
Principal Investigator |
瀧井 一博 国際日本文化研究センター, 研究部, 教授 (80273514)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 知識国家 / 伊藤博文 / 渡邊洪基 / 帝国大学 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究では、「知識国家」という概念装置を提示し、その理論的構築を行うための基礎的作業として、その系譜を探求する歴史的考察を行った。そもそもこのような研究に想到したのは、研究代表者が伊藤博文の国家構想や政治思想を検討していたことに起因する。伊藤は立憲国家が極めて知的な構成体であると認識し、そのようなものとして国家の制度改革を終生にわたって追求していた。1889年の大日本帝国憲法の制定に先駆けて帝国大学を創建し(1886年)、それと連動させて官僚機構の刷新を行ったことはその一例である。伊藤にとって立憲体制は、それを側面から支える行政の働きがなければ効果を期待できないものであり、そのような行政の確立のためには大学で専門知を身につけた学識官僚が不可欠とされた。また、伊藤は、立憲国家が始動した後には、議会中心の政治へと徐々に移行することを志向し、政党の改良に努めた。1900年の彼による立憲政友会の創設はその表れである。ここで伊藤は、政党を政権獲得のための道具として考えていたのではなく、むしろ地方と中央政府との間で知識を還流させるためのフォーラムのようなものとして構想した。一言で言えば、伊藤が考えていた政党は、地方の経済的利害を政策要求へと知的に変換し、中央へとつないでいくシンクタンク的なものだった。 そのような伊藤の「知識国家」構想を肉付けしていった人物として、本研究では特に渡邊洪基に注目した。渡邊は帝国大学の初代総長を務めた人物であり、伊藤との関係では立憲政友会の創立委員も歴任した。そのほか、「三十六会長」の異名をとり、数多くの学術組織の設立と運営に関与していた。渡邊の生涯の事績を初めて系統的に明らかとすることによって、彼のなかにもまた知識の交換を通じて明治維新以後の国家形成を成し遂げていくという考えが認められることを究明し、その再構成を行った。
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Research Products
(2 results)