2014 Fiscal Year Research-status Report
「われ感触す、ゆえにわれ在り」の系譜―ヘルダーからメルロ=ポンティまで―
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26770038
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
杉山 卓史 筑波大学, 芸術系, 助教 (90644972)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | ヘルダー / カント / クルージウス / デカルト / 侵入不可能性 |
Outline of Annual Research Achievements |
交付申請書に記載した研究計画に基づき、本年度はヘルダーにおける「われ感触す、ゆえにわれ在り(Sentio, ergo sum)」という主張(1769年に執筆された複数の未公刊草稿に見られる)の成立過程の解明に従事した。 まず『触覚という感官について』における「われ感ず、ゆえにわれ在り」は、狭義にはモリヌークス問題の文脈で言われているが、広義には物質の侵入不可能性を感知することが「哲学の最高概念」である、という、前批判期カントから受け継いだ主張から言われている。そのカントは、この「侵入不可能性」概念を用いた思考実験によって心身問題を批判し、この問題には「私の感覚するところに私は存在する」という仮の回答しか与えられない、とした。これに不満を感じたヘルダーは、「霊的侵入不可能性」という反証をもって師を批判し、師の「仮の」回答を(微修正した上で)「哲学の最高概念」に格上げしたのである。他方、『批判論叢』第四集における「われ感ず、ゆえにわれ在り」は、クルージウス批判の帰結、すなわち、「われ思う、ゆえにわれ在り」は「われ思うことを意識す、ゆえにわれ在り」でなければならない、とデカルトを批判するクルージウスを、さらに推論の形式面から批判したことの帰結である。ここには、「存在」は分解不可能な、あるがままに「感覚」するしかない概念である、という主張が控えている。 このようにまとめてみるならば、ヘルダーは「われ思う、ゆえにわれ在り」を、『触覚という感官について』系列では内容的に、『批判論叢』第四集系列では形式的に、それぞれ批判している、と言えよう。すなわち、両者はデカルト批判という目的/背景を、異なる側面からカントおよびクルージウスを介して間接的にではあるが、ゆるやかに共有している。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
当初計画において本年度予定していた、ヘルダーにおける「われ感触す、ゆえにわれ在り」という主張の成立過程を、上述の通り約8か月で解明することができ、次年度の研究を前倒して開始・進展させているため。
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Strategy for Future Research Activity |
上述の通り、すでに本年度後半から次年度の研究(リーグルの美術史学と文化財保護論における「触覚」の位置づけとその起源の解明)に着手し、必要な資料の収集と読解に努めている。これはもちろんいまだ途半ばではあるが、リーグルの「触覚」論に(上述の本年度の研究成果が対象としている「前期」ではなく)後期ヘルダーの思想が影響を与えている可能性が浮上してきた。このため、今後の研究においては、再びヘルダーに立ち戻ってその前期と後期の触覚論の関係を検討することをも視野に入れていく予定である。
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Causes of Carryover |
海外の研究資料の購入にかかる為替レート変動のため。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
研究資料の購入に充当予定。
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