2016 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
26770078
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
斎藤 理生 大阪大学, 文学研究科, 准教授 (40431720)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 新聞小説 / 織田作之助 / 地方紙 / 全国紙 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究では、終戦直後の新聞小説について、織田作之助の作品を中心に分析を行ってきた。その分析にあたって、創作欄以外の紙面との関わりを視野に入れることが特徴であった。このような分析を通じて、当時の新聞小説の特徴と社会的役割を明らかにすることが目的であった。 具体的にはこれまでに、織田や太宰治が地方紙に発表した新聞小説について、初出紙面を踏まえた分析をしてきた。その過程で、吉川英治や大佛次郎が全国紙に発表した作品との比較も行った。当時の新聞小説の連載状況に関する調査結果もwebにアップした(終戦直後の新聞小説年表)。 最終年度に研究会で発表し、論文化した「織田作之助『土曜夫人』論―「読売新聞」を手がかりに」は、このような研究の集大成となるものであった。この論文では、1945年9月から1946年12月にかけて、地方紙に3篇の新聞小説を発表した織田が、いよいよ中央の大新聞に連載した作品を分析した。織田は、紙面の他の記事や広告と関係づけたり、その土地の固有名詞や話題を次々に登場させたり、メタフィクション的な構造にして読者との距離を調節したりといった、地方紙で大きく成功した手法を東京の大新聞でも用いていた。そのために成果のあがった面はありながらも、失敗した面もあることがわかった。 織田は新聞小説で、文学的な形式上の実験と、一般の読者を楽しませる内容との両立を試みていた。芸術性と大衆性との架橋は、昭和初期に広津和郎や横光利一が、また後に多くの戦後派の作家たちが試みたことでもあった。ただ、物資と輸送力の不足で2面しかなかった終戦直後のごく限られた紙面においては、またGHQの方針によって地方の新しい新聞の発展が奨励されていた時期においては、読者を慰安し、かつ新鮮な内容を含んだ小説が特に強く求められていたと言える。そのような状況の中で、織田の方法は特筆されるべき成果をあげていたことがわかった。
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