2014 Fiscal Year Annual Research Report
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26884046
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Research Institution | J. F. Oberlin University |
Principal Investigator |
岡田 万里子 桜美林大学, 人文学系, 准教授 (60298198)
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Project Period (FY) |
2014-08-29 – 2016-03-31
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Keywords | 京都 / 文化 / 多様性 / 摂関家 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、従来断面的かつ画一的にとらえられてきた京都文化を再考し、近世京都における文化・芸術の多様性を論じることである。近世期の京都は、武家社会にありながらも宮廷を擁することから、独特な位置を占めていたとされ、その文化・芸術的な面においても宮廷文化の影響が指摘されてきた。一方、民衆の文化としては、祇園祭を代表とする初期の町衆文化や歌舞伎の中心がまだ四条河原にあった頃の初期歌舞伎は論じられるものの、その後は看過されている。その理由として、宮廷と民衆を二項対立的に対比させる歴史研究の構造があげられるのではないだろうか。本研究は、五摂家筆頭の近衛家の当主夫人による日記を中心とする史料から、むしろ両者を有機的に連関させて、新たな京都文化を発見し、議論の対象として機能させようとしている。 近衛家当主夫人円台院宮董子(えんだいいんのみや・のぶこ)の日記『円台院宮御日記』は、天明8(1788)年から天保12(1841)年まで半世紀以上にわたって断続的に記された全四十冊の日記である。董子の手による自筆の日記が大半を占めるが、祐筆が詳細な記録を残した御傍日記も含まれている。これらを読んでいくと、近衛家の夫人や子どもたちが参詣に京都の寺社を訪れている様子や、町方の人物と考えられる人物が多く近衛家に出入りした様子もわかってきた。こうした事例を通し、京都における宮廷文化が庶民とは無関係に平安以来の伝統を守ってきたのではなく、庶民と直接的に交わり、庶民文化の影響を多大に受けて展開されたことがわかった。特に女房たちの活動は多彩で、町方へ見物に出かける一方で、近衛家を訪れた貴人の食膳に侍して給仕をすることもある。近衛家当主夫妻に重用された女房も散見し、彼らが宮廷文化と庶民文化を媒介した可能性もみとめることができた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
研究対象に対する分析・考証は進み、研究発表も初年度から行うことができたが、データベース構築が若干遅れており、現在までの達成度は全研究計画の5割程度である。 特に、昨年11月に日本演劇学会秋の研究集会(会場:京都外国語大学)のシンポジウム「京都における「伝統」という言語-大念仏狂言・能楽・京舞・祇園祭を例として-」のパネリストとして発言の機会を与えられたことが大きく、二ヶ月間で近世京都文化の多様性について議論を組み立てなければならなかった。主催者側が一般的な「伝統」に対するイメージをタイトルにも提示しているが、「伝統」と一口に表現しても、それがいかに多様ななかで作用しているかということが明らかにされた。また、こうした言説が育まれる背景は近代、さらには第二次世界大戦以降にあることも明確になった。 他の資料による裏付けに関しても、頼山陽の母梅颸の日記や大阪歴史博物館所蔵の斉藤家日記(京都新町有力商家齋藤新助勝威の幕末の日記)などから、茶道宗家とのつきあいや町方で能を見物する様子、あるいは歌舞伎を楽しみ、一方で文人同士の交流など、近世後期の京都の文化的な生活の包括的な具体像を明らかにできている。さらに、近衛家の日記にもたびたび登場する流行歌に関しては、歌詞集に同じ曲名を見出したので、今後歌詞集を詳細に検討することにより、具体的内容をも明らかにできる。 このように、他の資料を比較検討することにより、近衛家の日記に表れる事象を多角的にとらえることができた。その結果、昨年度は、歌舞伎学会において対象を個々の行為者が内在的に昇華するファンカルチャーとして当時の歌舞伎文化全体を見るパラダイムの可能性を発表したほか、芸術を消費する当時の京都文化について、アジア学会で研究発表を行うことができた。
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Strategy for Future Research Activity |
昨年度に引き続き、『円台院殿御日記』全40冊に記された事項をコンピュータに入力し、データのデジタル化をはかる。すでに入力した部分に関しても精度をあげていく予定である。また、日記に記された事項・人物・場所等についてのデータベース化とその解釈に重点を絞っていきたい。昨年度は、早く成果を出すべく、特異な事例の分析を優先したが、今年度は網羅的な把握を優先したい。改名が頻繁に行われる人物については未詳の部分が多く、厳密に考察を加えていく必要があるほか、上記データベースが構築されれば、それらの検索も容易になると考えられる。 そして、当日記以外の史料による裏付けも今後補強していきたい部分である。たとえば、日記中に表れた歌の曲名を盆踊り歌の演目と認定し、京都府立総合資料館蔵の歌集『夜音』に同じ曲名を見出したが、その歌詞まではまだ明らかにできていない。今年度は、歌われた歌の歌詞にまで注目し、その具体相を検討していく予定である。これにより、当時の文化の多様性、重層性を考慮する手がかりとなるはずである。さらに、近衛家の奥向きに奉公をしていた女房たちが宮廷文化と庶民文化の橋渡しをしていた可能性をすでに指摘したが、その実態の検討をはじめる予定である。女房たちは、江戸の武家奉公と同様、嫁入り前の女性の行儀見習いとして機能していたように考察されるが、じっさいはどのような環境にあったのだろうか。外出の供や配膳手など多彩な活動をした女房たちであるが、これらの実態を明らかにすることができれば、近世の女性史研究にも貢献することができるだろう。 最後に、平安朝以来の文化を継承する京都における、伝統の表象としての日記の機能や、伝統の後援者/守護者としての摂関家の機能も考察する。摂家夫人の日記は例も少ないが、当主は必ず公記とよばれる公の記録を残しており、伝統の保存管理という側面から日記を分析し、本研究の総括としたい。
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Research Products
(4 results)