1986 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
61550450
|
Research Institution | Fukui University of Technology |
Principal Investigator |
吉田 純一 福井工大, 工学部, 講師 (40108212)
|
Keywords | 大工 / 大工組 / 大工高 / 棟梁 / 棟梁家 / 京大工頭中井家 / 中井役所 |
Research Abstract |
本年度は継続研究(3年)の初年度に当たり、中世〜近世における和州法隆寺村の大工の実態を解明することに励んだ。実績概要は次の通りである。 中世の法隆寺村大工(番匠)は法隆寺直属の大工集団であり、法隆寺大工職を相伝した藤原,平,秦,橘姓を名乗る四大工家によって統轄されていた。近世を迎かえ、これら四家は没落し、代って中井家が抬頭してくる。中井正吉は豊臣秀吉に仕え、その子正清は徳川家康に登用され、京大工頭として畿内、近江一円の建築行政を統轄するや、法隆寺村の大工たちは正清直属の大工集団として活躍するに至った。すなわち村内大工たちも幕藩体制に組み込まれた訳である。そして中井家大工組織が最も充実した寛文〜元禄期は法隆寺村も大工村として最も盛えた時期で、中井の棟梁を勤める者が50人前後いた他、村内に七組もの大工組が組織され、組大工の数も優に100人を越していたことが想定できる。棟梁クラスは80坪〜100坪以上の屋敷地をもち、西里地区に多くが集住し、組大工は30坪〜70坪前後の屋敷を所有し、東里に居住する者が多かった。 こうした法隆寺村の大工村としての特質は、大工たちが所有する屋敷、田畑の石高すなわち大工高にも窺え、村内の大工高602、922石は村高の約4分の1に当たり、正徳頃の大和国の総大工高に対しても2割近くを占めていた。また大工たちは半農半工の身にあり、百姓役も課せられていたが、作事に微集される分、公役の一部が免除され、一般農民とは違って大工方株にまとめられていた。この大工方株の存在も大工村としての特質に上げることができよう。 このように江戸初期から前期にかけて大工村として繁栄した法隆寺村であったが、元禄6年中井役所が成立し、中井の大工組織が再編成されたのを機に、大工村としては次第に衰徴していった。
|
Research Products
(3 results)
-
[Publications] 吉田純一: 日本建築学会大会学術講演梗概集. 701-702 (1986)
-
[Publications] 吉田純一: 日本建築学会北陸支部研究報告集. 第30号. (1987)
-
[Publications] 吉田純一: 日本建築学会大会学術講演梗概集. (1987)