1988 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
61550450
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Research Institution | Fukui Institute of Technology |
Principal Investigator |
吉田 純一 福井工業大学, 工学部, 講師 (40108212)
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Keywords | 法隆寺村大工 / 造営 / 作事 / 京大工頭 / 中井 / 棟梁 |
Research Abstract |
本年度は、法隆寺村の大工たちが関わった建築造営を明らかにしながら彼らの活動状況を把握するとともに最終年度としての成果の総括を行った。 江戸初期から京大工頭中井の大工組織の主体を形成していた法隆寺村の大工たちは二条城(慶長10・11年)、名古屋城(慶長17年)日光東照宮(元和5年)など幕府創立期を代表する大規模な公儀作事や慶長〜延宝度まで5度に及ぶ京都御所造営に関わっている。これら各造営における中井の棟梁は100人前後もしくはそれ以上と考えられるが、法隆寺村の者はその中に絶えず50人前後組み込まれている。そして中井とともに造営の責任者を勤めた頭棟梁や指図・帳簿の作成・吟味に当たった者、大工たちの仕事を監視したり指示する者など法隆寺村の棟梁は特に主要な役割・立場を担っていた。 一方、中井担当の作事以外に法隆寺村の大工たちが関与したことが確認できる事例をみると、大和国内では慶長9年(1604)の当麻奥院本堂や同10年吉野水分神社本殿から幕末の中家持仏堂まで12例ある。これらの各造営では数人の同村大工が集団を形成して作事に当っているが、中井の棟梁として名前がみられる者、村内の大工組に所属していたと考えられる者が混在している。また慶長11年(1606)の法隆寺金堂などの大修理をはじめとして法隆寺内の各種工事には絶えず当村大工が関わっているが、特に18世紀以降になると寺外の工事に関わっている例は少なく、法隆寺内の工事に限定されていたとみることができる。 大和以外では京都府下において浄瑠璃寺三重塔(元禄10年)や西念寺本堂(宝永3年)など4例に法隆寺村大工の関与が確認され、滋賀県においては杉尾神社本殿(宝永4年)がこの例である。畿内の他県については未だ確認していないが、京都府、滋賀県の例からみる限り、中井の下で公儀作事に関わっていた活躍ぶりと比較すると、畿内寺社との関わりは弱かった。
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Research Products
(2 results)
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[Publications] 吉田純一: 日本建築学会大会学術講演梗概集. (1989)
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[Publications] 吉田純一: "和州法隆寺村村の大工に関する研究(研究成果報告書)" 私家版, (1989)