1987 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
62510005
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
隅元 忠敬 広島大学, 文学部, 教授 (80033471)
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Keywords | 自我 / 存在 / 現象 / 現象論 / 自覚 |
Research Abstract |
フィヒテ晩年の哲学の基礎をなすものは「現象論」である. まず「現象論」の本質をフィヒテ哲学全体から明らかにする. フィヒテは1790年代には「自我」を根本原理としてその上に哲学体系を構築し, 1801年には「自我」の根底に「存在」を求め, 1804年にはこの「存在」を一切の根本原理とすることによって「自我」をそれの現象として位置づけた. 「自我」はさらに「世界」を構築することにらって, ここに「存在」, 「自我」, 「世界」という三重構造の体系が成立し, この立場は「存在」の現象を明らかにするものとして「現象論」と名づけられる. フィヒテは晩年においてはこの「現象論」を追求し, なかんずく「存在」と「自我」との連関の問題を解明しようとする. 1810年の知識学では, まず三重構造の体系を示した上で, 「自我」を「存在」の「映像」, 「図式」と名づけ, これを「存在の意識」と規定する. これは「存在」が自らを意識することと, 「自我」が「存在」を意識することが相表裏する構造を考えたものであって, それがことばの厳密な意味における「自覚」の本質である. 「自覚」は単に自我のものでないのはもとより, 単に存在のものでもなく, 両者の相表裏する接点を意味する. 「存在」の「自覚」と「自我」の「自覚」と接するところは, 「自覚」そのものの明惺惺たる場面である. 1812年の知識学はこの点をきわめて詳細にかつ深く追求していくのである. 本年度は, フィヒテ晩年における「存在」と「自覚」の問題を知識学の探究を通じて以上のような形で把握した. これを「自我」の観点にしぼって明らかにしたものが"Uber die Klarheit des Ich in der Wissenschoftslekre J.G. Fililes"という論文である.
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Research Products
(2 results)