Research Abstract |
本年度の研究で特に重点を置いた対象は, 文献では『ヴィシュヌダルモーッタラ・プラーナ』第3巻の絵画論, 実作例ではアジャンター壁画である. 文献と実作例おのおのの研究, および両者を比較検討しての研究を通じて, 視覚的な事象を言語で記述する文献の限界や, 偶然に遺された作例でもって一般的現象を考察する危険性は絶えず感じられたものの, それを越えて, 完成期インド古代壁画の際立った特色が, 文献と作品の両面から以下の点で把捉され得た. 1.人物・動物を描写する際に, どの方向から眺められた姿で表現されるかが, 大きな要点として画像に意識された. 文献では像の向きが正面向きから後向きまで, 9段階に区別されているが, 実作例でも文献とよく一致した現象が認られる. 2.人物・動物を描く時, 画家は, 姿勢の取り方によって, 対照の一部が短く見えることをはっきり認識していた. 壁画の作例には, 現実にかなり発達した短縮方が用いられている. 3.地面・床・壁などの平面的なものを除いて, 描かれた対象すべてにとって, 立体感を現わし形を明確にする暈取り(暈し)が必須の要素であった. 4.絵画は観者に特定のラサ(情緒)を起こさせることを要求された. つまり, 文芸や演劇におけるラサ論の発達と呼応して, 絵画もその主題にふさわしい感情を観者に喚起させるべきものと考えられ, 画家は実際にその要求に応えた. 以上が, インド古代壁画の特色として, 文献と実作例の両面から確認される内容のうち, 特に重視すべき点である. 但し注意すべきは, これら特色が, 画家が現実の描写対象を詳細に観察した結果を, 直接画面に表現することで達成されたもの, つまり写実的な観方と表現によるものではなく, 画家たちが, 様々な視覚体験を一般化・抽象化しながら, 幾世代もかけて練り上げた結果であることである. 実際の作品も文献も, それを示唆している.
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