Research Abstract |
1.一般に運慶策といわれる静岡県韮山町願成就院蔵諸仏・同銘札に対する調査の結果, それが北条時政の出身を究明する上で重要な史料的位置を占めるのみならず, その真偽についても, 根本的な再検討が必要だとの認識に達した. かかる研究成果の一端は, すでに『立命館文学』500号掲載の論文において示したが, 今後もなお調査・研究を継続したい. 2.『兵範記』の人名索引作製については, 久寿2(1155)年8月条以前の分を, 『兵範記人名索引I』と題して公刊したが(『立命館文学』別巻), その後の作業としては, 保元2(1157)年末までをカード化した. 爾後, 保元3年9月条までの分を生理・校訂し, 『人名索引II』として刊行する予定である. 3.従来の研究においては「没官」と「没収」の弁別がなされていないが, これの厳格な区別こそが, 中世国家の恩賞授与, 武士の棟梁の恩領給与構造を理解するためには, 不可欠の前提であると考えるに至った. この点については, 平家没官領の行方や鎌倉幕府荘郷地頭制の成立を解明する際の最重要史料たる, 寿永三年前大蔵卿奉書を具体的分析の素材として, 卑見を公表したい. 4.近年の研究成果によれば, 中世武士の源流は農村社会の外にあり, 農業民からは蔑視され, また彼等自身も, 殺生をなりわいとする深い宿業観にさいなまれる存在であった. しかし彼等は, 遅くとも鎌倉時代までには, 領主として, あるいは為政者として, 支配階級としての地位を確立した. しからばその思想的転換は, どのような論理構造においてなされ, また可能であったのか, 従来ほとんど考えられたことのないこの問題を解くカギは, 「公」の論理ある. 詳細は近稿を参照してほしい.
|