Research Abstract |
近代会計の基底, 動態論を首唱したシュマーレンバッハの唯一の関心は, 貸借対照表を財産計算でなく損益計算の手段として論証することにあった. それも, 株式会社の台頭, さらに, 普仏戦争後の経済恐慌に直面して複雑に経緯する評価問題, すなわち, 価値論争に終止符を打つためであった. 1861年のドイツ一般商法典が, 貸借対照表の作成を規定したものの, これに計上すべき価値について全く無色の表現をしていたからである. そこで, 財産計算を支持する法律の因襲から解放すべく, 損益計算を支持する商人慣行を前面に打ち出して, 自己の見解が正当であることを表明しただけでなく, 因襲に囚われた見解を納得させるために, 法律には法律で対抗すべく, 1897年のドイツ商法典に組み込まれた正規の簿記の諸原則を活用したのである. 商人慣行を斟酌して, 帳簿記録から貸借対照表が誘導されるかぎり, これに計上すべき価値も自ずから明白になるからである. それだけではない. 1891年のプロシア所得税法が, それまでの収入・支出計算による損益計算に加えて, 貸借対照表による損益計算を認許したことからも, 価値論争が繰り返されるが, これに終止符を打つとしたら, さらに, 自己の支持する収益・費用計算としての損益計算が, そのいずれにも代位しうることこそを論証しておかねばならなかった. そこで, 計算構造についてであるが, 設立から解放までの全体損益計算が収入・支出計算であるのに対して, これを区画しての期間損益計算は収益・費用計算である. しかも, 全体利益は期間利益の合計に等しいので, 収入, 支出, 収益, 費用のズレである未決項目を収容するのが貸借対照表であると主張したのである. そのために, これに計上すべき項目も自ずから規制されざるをえない. したがって, 計上能力論争にも終止符が打たれたのだが, いま, 情報需要の高度化と多用化は新たな計上能力論争の転回を余儀なくしている.
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