Research Abstract |
本年度は, 農商務省農務局畜産課員による牛疫流行の顛末・調査報告書等の収集に力を注ぎ, 公刊されているものはほぼすべて入手した. また, 獣疫関係の書物の他に, 「日本獣医史学雑誌」やその他地方史関係の雑誌により, 牛疫に関する自然・人文科学の立場からの研究論文リストを作成し, これらのうち重要論文はほぼ入手し得た. また, これらの学術研究を補う意味において, 牛疫流行の生々しい状況やその流行取締り状況についての情報を, 各地の新聞記事に求めた結果, 「門司新報」「福岡日々」「東洋日の出」や「防長新聞」などに見い出し, 多くの牛疫関連記事を入手した. そして, フィールドワークでは, 下関市彦島や大分県臼杵市において, 朝鮮牛輸入・移入業や検疫にたずさわってきた古老からヒアリング出来た. その結果, 朝鮮牛の国内での取引流路の解明に多くの示唆を得た. 以上の調査研究を通じて, 現在の時点で明らかになった点のいくつかを列挙すると, (1)日本での牛疫流行は, 従来からの定説であった明治期だけでなく, 江戸初期にまで遡ることが出来る. (三木栄, 岸浩氏の研究論文による)(2)国内での牛疫発源地は, 明治期において(a)少数地点→(b)多地点→(c)特定地点と移り, 牛疫対策, 運搬手段, 牛馬商人の対応などによって, その流行範囲は著しく限定されることとなった. (3)大正期以降, 朝鮮牛に対する農民・肉商の評価は著しく高くなり移入頭数は, 年間5・6万頭に達する. 明治末期の「二重繋留検疫」(明治42年)と「家畜市場法」(同43年)により, 朝鮮牛取引・流通にみる混乱が解消されたことが, 牛疫の発病とその流行をくいとめた主要な要因である. その他, (4)筑前・筑後の馬飼育地域の形成問題や朝鮮牛の種牡牛問題などこれまで不明なことが一部明らかとなった. さらに, 朝鮮牛の屠牛(肉牛)としての重要性および屠場法(明治39年)施行との関連性もうかびあがった.
|