1989 Fiscal Year Annual Research Report
八・九世紀におけるフランク王国の統一と解体のメカニズム
Project/Area Number |
63510214
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Research Institution | Aichi Prefectural University |
Principal Investigator |
日置 雅子 愛知県立大学, 文学部, 助教授 (40086187)
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Keywords | カロリング国家の統一と解体 / フランキア / 国家の一体性とフランキアの一体性 / ヴェルダン条約 / メルセン条約 |
Research Abstract |
本研究では、カロリンガ-王国の統一と解体のメカニズムを探るにあたり、それを「フランキア」という概念に収斂させて究明してきたが、「国家の一体性」を「フランキアの一体性」において維持せんとしたその全貌は、既に前年度の研究で明らかにしたところである。今年度は、ヴェルダン条約(843)によってフランキアの一体性が崩されてなお、三分割されたフランキアの中核である「中部フランキア」が全体帝国におてなお保持したその統合的役割と、しかしながらそれも遂も、メルセン条約(870)以降は否定されてゆく背景を、中部フランク聖界の体制と政治的帰趨の中に追求してみた。もとより当該聖界は中部フランキアを領有したロタ-ル二世の政権の支柱であり、同王の後継問題に絡む離婚問題に関してもロタ-ル支援で結束した。然るにこの統一体制は、東西量フランク王による中部フランキア分配の思惑と教皇庁の介入によって挫折する。即ち、中部フランク聖界の要であるケルン、トリア両大司教座が教皇による長期の廃位処分(863-870)によって統率を欠き、その混乱の中でメルセンでの中部フランキアの分割・解体という事態を迎えるのである。皇帝ロタ-ル一世の直系であるロタ-ル二世、ル-ドヴィヒ二世の相次ぐ継嗣なき死(869,875)によって同帝の系統が断絶した時、彼が支配した中部フランキアからイタリアにかけての中部帝国の地は、以後東西のフランク王権や当地の帝国貴族層の蚕食の場と化した。その意味では、復権後の上記両大司教座や周辺司教座の権力拡大も例外ではない。しかも、王権に由来するグラ-フや巡察使の公的権力はこれら聖族貴族の私するところとなって反統合的な領域権力化に拍車をかけ、様々な勢力が複雑に入り組むモザイク社会を形成した。結局再統一に向かうような求心力を欠いて、東西に隣接するフランクないしその継承国家との離合を繰り返し、最終的にフランクの統合機能を喪失したのであった。
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Research Products
(3 results)
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[Publications] 日置雅子: "「中世ヨ-ロッパ王権の適格性」" 『歴史の理論と教育』. 77. 22-31 (1990)
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[Publications] 日置雅子: "「カロリンガ-・フランクにおける「フランキア」の統一と解体」(その1)" 『愛知県立大学文学部論集・一般教育編』. 38号. 1-75 (1990)
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[Publications] 日置雅子: "「カロリンガ-・フランクにおける「フランキア」の統一と解体」(その2)" 『愛知県立大学文学部論集・一般教育編』. 39号. (1991)