ヴィクトリア朝産業小説における小説技法と労働者階級・群衆暴動の表象について
Project/Area Number |
00J08141
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
英語・英米文学
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Research Institution | The University of Tokyo |
Research Fellow |
和田 唯 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2000 – 2002
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2002)
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Budget Amount *help |
¥3,600,000 (Direct Cost: ¥3,600,000)
Fiscal Year 2002: ¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
Fiscal Year 2001: ¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
Fiscal Year 2000: ¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
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Keywords | 英文学 / ヴィクトリア朝 / representation / 大衆社会(mass society) / lumpenproletariat / working class |
Research Abstract |
今年度の研究では、DickensのBarnaby Rudge(1841)の具体的分析を通じて、20世紀にまで続く大衆社会論やファシズム批判の萌芽がいかに形成されたかを検討した。それによって明らかになった観点はおもに以下の4点である。 1.絶対的価値観の不在によるアノミー 群集暴動は、歴史的には産業主義やそれにともなう大幅な社会的変化(階級対立や経済的・政治的・宗教的不平等の激化)によって生じたものであるが、それは社会(または小説の空間)を統一する究極的な価値観の喪失といったかたちで表象される。小説技法的にはリアリズムが大幅に侵犯され、空間的・時間的な標準軸に大幅な狂いがもたらされる。これは当時の、社会は時間とともに進歩改良されるという直線的歴史観を疑問に付すものである。 2.社会的矛盾の想像的解決と排除のポリティクス 当時の思想や小説は、こうした社会のアノミーに応じて、国家の礎となる理想的民衆像を新たに提示することが求められるようになる。規範的価値観の探求や労働者階級問題の解決を論じるにあたって、その手続きにはつねに一定の操作が観察される。たとえばマルクス・エンゲルスのような思想家は、虐げられた労働者階級による理想社会の建設を訴えたわけだが、その際、ルンペンプロレタリアートという「社会の屑」を否定的に媒介することなく、理想的な民衆像を提示することはできない。 3.家族や異性愛といったセクシュアルな側面での主体形成の失敗 群集暴動の表現においては、暴動に参加するような人間の主体形成が、性的に正しく形成されていないことがつねにレトリカルなかたちで強調される。家族や異性愛というかたちで「正しく」昇華されなかった性的不満は、社会的・政治的な攻撃性に転化されて噴出することになる。群集の参加者とそのファシスト的指導者との結びつきは、同性愛的観点から説明される。このような見方は20世紀の大衆社会論(フランクフルト学派)にまで続き、現在も参照枠として機能している。 4.絶対的価値の喪失にともなう法や権威への懐疑 価値観の喪失にともない、社会の中心がファシスト的指導者などによって間違ったかたちで代表されると、法や権威の自明性さえもが揺らぐことになる。このような状況においては、法が法であるための必然性は喪失し、逆に法の核心にひそむような暴力性と攻撃性がむきだしになってしまう。 以上のような観点を通じて、19世紀から20世紀にいたる大衆社会の枠組を、群集・大衆・民衆という語義の変化をも参照しながら理論的に考察した。
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