Research Project
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
昨年に引き続き、本年度8月末までコペンハーゲン大学歴史研究所において研究に従事した。昨年に引き統きクヌートによる統治構造の実態を調査しているが、その結果次の点が明らかとなった。第一点は、紀元千年前後においてデンマークが置かれていた政治的位置である。通常この時代のデンマーク史は、ノルウェーおよびスウェーデンとの権力闘争という視点から理解されていたが、状況はそう単純ではない。その両者に加えて、婚姻関係を通じてデンマークと政治的連合を持つことになったポーランドとオボドリート族、そしてそれらと政治的に深い関係を持つドイツの存在を考慮するならば、一見北欧内の問題として処理される状況ですら、バルト海全体の政治問題として捉え直す必要がある。第二点は、クヌートが1017年にイングランド王として登位するための前提諸条件は、すでにその父であるスヴェン叉髭王の時代に確立されていたことである。スヴェンは、クヌートとイングランド北部の有力貴族を結婚させ、英仏海峡の対岸に位置するノルマンディ公と政治的協定を結ぶことによって、当時のイングランド王エセルレッド二世を攻撃するために有利な地政学的条件を造り上げていた。その結果、スヴェンが突然死した後もクヌートはイングランド北部とノルマンディからの抵抗を殆ど受けることなく、イングランド征服事業を完遂した。この見解は、本年度6月に現地の指導教官であるNiels Lund教授に対して提出した「The reign of Svein Forkbeard reconsidered」と題した英文レポートの中で開陳した。帰国後は、現地で収集した諸データをもとに、12月のバルト・スカンディナヴィア研究会で「北欧中世史学の現在」という報告を行い、その一部を『クリオ』誌に投稿、受理されている。
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