Research Project
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
1950年代の日本における米軍駐留経費分担金(防衛分担金)制度の成立・運用に焦点を当てて、日本の米軍受け入れ政策と安全保障政策をめぐる日米関係、米軍受入政策と財政政策との関連性における国内政治の調整過程を検討した。その結果、以下の諸点が明らかになった。第一に、主に1950年代前半における日米行政協定25条に基づいた日米間の防衛分担金に関する交渉が、合衆国の日本の予算編成への実質的介入になっていることについての国内政治における反発を検討し、(1)予算への介入そのものに対する反発となっていることに加えて、(2)防衛力増強の圧力となり、また均衡予算を編成するのに阻害要因となっていること、(3)その結果日本の内政の混乱要因となり、日米関係を大きく損なう要素となったことを明らかにした。第二に、上記の日米関係の混乱の過程において、(1)日本国内では、岸信介らを中心とした社会保障費の充実など防衛費よりも国民の福祉に優先順位を与える流れが強まったこと、(2)その流れが冷戦を背景にした国内の保革対立を強く意識した(その意味で日米協調路線と通じていた)戦略であったこと、(3)その結果、合衆国側が日本の政治的・経済的安定を重視しようとした新しい対日政策を安定的に定着させることに成功したことを明らかにした。以上から、日米関係の安定化要因が安全保障政策における協調から、より日本の国内社会の安定化路線に比重が移っていったことが明らかになった。第三に、上記要因と米陸軍の漸次撤退にともなって、(1)防衛分担金制度は制度的にも実質的にも変容を余儀なくされ、できるだけ日本の予算編成に介入しない形式が作られるようになり、(2)さらに50年代末には(1)の形式で想定していた以上のペースで分担金の削減が図られたり、60年の安保改定・行政協定改定では施設等の提供以外の経費は認めないことで合意するなど、米軍駐留経費問題の日本国内における非正当性の主張あるいは思想が日米間で共有される経緯を明らかにしたといえる。