大正期における「精神」概念をめぐる相剋-第一次大本教事件を中心として-
Project/Area Number |
04J07899
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
History of thought
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Research Institution | Osaka University |
Research Fellow |
兵頭 晶子 大阪大学, 大学院・文学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2004 – 2005
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2005)
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Budget Amount *help |
¥1,900,000 (Direct Cost: ¥1,900,000)
Fiscal Year 2005: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 2004: ¥1,000,000 (Direct Cost: ¥1,000,000)
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Keywords | 精神鑑定 / 責任能力 / 精神病 / 近代刑法 / 宗教弾圧 / 憑依 / 人格の統一性 / 近代天皇制 / 思想史 / 精神医学 / 精神療法 / 潜在意識 / 心理 / 宗教 |
Research Abstract |
犯罪者の矯正を自指す近代刑法は、「犯罪の理由」、すなわち主体がなぜそのような行為を犯したのかという動機を刑罰の基準に据える。よって、動機の不可解な犯罪に遭遇すると刑法は機能できず、理性の不在、すなわち精神病ゆえに行為を犯した無責任能力者として精神病学に引き渡すことで自らの秩序を維持する。その際、理由/理性の不在は、人格や意識の分裂として説明された。「病的人格変換現象」や「潜在意識活動」と再定義された大本教の憑霊が、責任能力概念を揺るがすアポリアとなるのはこのためである。第一次大本教事件時の精神鑑定は、そのことをふまえた大本教側の法廷戦術であると同時に、不敬を罪に問う宗教弾圧が、法の制約を離れた暴力と化す水路ともなっていく。 宗教的な不敬事件の場合、動機を理路整然と明らかにすることは、なぜ不敬が罪なのかという根本的な問いを浮上させ、近代天皇制の根幹を揺るがしかねない。特に、近代天皇制の思想的基盤と出自を同じくする国家主義的復古神道税に彩られた当時の大本教において、その危険性は限りなく高かった。だが逆に、それを精神病として説明してしまうことも、天皇制にとっては最大の禁忌だったに違いない。それゆえこの事件では、罪の動機が一切問われないという異例の裁判が行われた。つまり、何が不敬を根拠づけるのかさえ不問に付したまま、刑罰だけが科されようとしていたのである。問題を個人の内面に解消するpsychoを制度化した精神鑑定のはらむ問題性を、この事件は余すところなく物語る。 個人を越えた広がりを想定するspiritが迷妄として退けられるのは、それが刑法を始めとする近代社会の諸制度を貫く主体としての個人像=psychoを脅かすからに他ならない。その際に総動員される暴力の法外さは、近代という時代を支える権力自体がはらむ問題性でもある。近代特有の二つの「精神」概念の相剋は、その事を示す最大の証左なのである。
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Report
(2 results)
Research Products
(3 results)