Budget Amount *help |
¥3,400,000 (Direct Cost: ¥3,400,000)
Fiscal Year 2006: ¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
Fiscal Year 2005: ¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
Fiscal Year 2004: ¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
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Research Abstract |
18年度の本研究では,取手宿本陣・染野家を事例に,町場の地貸・店貸経営を地代収入と決済構造の両面から検討し,江戸の町屋敷経営と比較してきた。その観察結果は,以下のとおりである。 染野家の地代は,18世紀後半期に一定額で推移していたが,18〜19世紀転換期を境目として,2度改定された。その対象は,全ての地借であり,その引上げ幅は,1800年に2〜3割以上,1828年に約2倍に到達していた点に,江戸との大きな差異が観察される。 このように,地代の決定権は徳川後期を通じて貸主の染野家にあったが,だからといって,同家が地代を恣意的に騰貴させたわけではなかった。むしろ,周辺地域の景気動向や地借の当座資金に対応した決済構造の構築に,大きな貢献を果たしてきたと考えられる。事実,19世紀初頭から節季払いによる地代決済が通例となったのは,当時,取手地域の消費市場が活況を呈してきたなかで,貸主・借主の資金需要がともに盆暮れに集中したからだと推測される。しかし,染野家の地代は,坪数に逓減して設定されていたので,大規模借主と小規模借主との間で地代負担に対する格差が生じていた。さらに地域経済が1810年ごろから後退してくると,滞納を繰り返す小規模借主が散見されるようになり,従来の地代構造は明らかに限界を来していた。そこで,染野家は1828年の地代改定で坪当り地代額を設定し,負担格差の解消を図るとともに,節季払いから月払いに切り替えて,滞納リスクの回避に努めた。 以上の取手宿・染野家とは対照的に,江戸では地主が積極的に経営手腕を発揮する機会を持ち合わせてなかった。このような相違は,都市商人が達成できなかった地貸・店貸経営からの貨幣的蓄積を,町場の地主は実現しえたのか,今後考えていく点で大変興味深い。
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