Research Abstract |
今年度の研究では,清朝の軍事・社会制度である八旗のうち,両紅旗(正紅旗・□紅旗)のダイシャン系旗王家(太祖ヌルハチの次子の後裔達)の爵位とニルの継承過程を分析した。康熙朝において両紅旗にいかなる系統の旗王が,どれだけ存在したのか,また権力基盤であるニルをどのように領有し旗人を支配していたのかを明らかにし,そして世宗雍正帝の著名な八旗改革前後での,かれらの変化の有無の考察を試みた。 雍正帝の八旗改革は,八旗を官僚制の下に位置付けたと評価され,雍正帝が八旗の分権的体制を克服した独裁皇帝であるというイメージ,世代交代を繰返した旗王らがその勢力を漸減させ惰弱な存在と化していたというイメージの形成を促した。しかし康熙朝の両紅旗内の場合,正紅旗は少数のダイシャン系旗王がほぼニルを独占し,複数の系統・多数の旗王が並存した□紅旗においても,有力氏族のニルを領有していたのは,やはりダイシャン系旗王であった。しかも康熙帝の皇子は,正紅旗に一人が分封されたのみで,□紅旗には皆無であり,皇帝権力の両紅旗に対する浸透は著しく低かった。雍正帝は即位後,ニルの領有に制限を設け,幾人かの両紅旗旗王のニルを没収するが,それらのニルを自らの上三旗に収めるのではなく,両紅旗に新封した異母弟二人の麾下に配している。しかもダイシャン嫡系の有力旗王にはほとんど雍正帝の手は及んでいない。これは雍正帝が,旧来の分権的体制という枠組みの中で八旗改革を行なおうとしていたあらわれであり,旗王によるニルの領有・旗人支配という本質を肯定・尊重していたことを意味するものである。
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