Project/Area Number |
05620008
|
Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
|
Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Fundamental law
|
Research Institution | Osaka City University |
Principal Investigator |
和田 卓朗 大阪市立大学, 法学部, 助教授 (30109409)
|
Project Period (FY) |
1993
|
Project Status |
Completed (Fiscal Year 1993)
|
Budget Amount *help |
¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 1993: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
|
Keywords | Inguisition / Infamy |
Research Abstract |
刑事訴訟は13世紀以降、拷問を導入することによって、糾問主義化した。Eb.Schmidtに代表されるかつての通説は、これがローマ法の体系的継受に先立つドイツ法独自の発展であると考えていたが、今日では、いわゆる早期継受を含めた「法の学問化」というより包括的な観点から評価し直さなければならない。この点で大きな貢献をしたのが、W.Trusenであった。 まず第一に、法的な意味での拷問が問題になるのは、ようやく中世中期以降になってからであることが確認される。得に教会は、告解の自由意思性の原則から、拷問に対しては基本的に敵対的であった。この警戒的態度は、大逆罪について認められていた拷問を神に対する大逆罪としての異端にも適用するローマ法の影響の下に、教会法上の異端審問に拷問が導入された後も維持され、拷問を行う用件の限定や、拷問によって得られた自白の真正性の検討が要求されるようになった。 一方、教会法上の糾問訴訟は、拷問とは一応無関係に、悪評手続から発展したものであった。すなわち、イノセント3世は、悪評手続に証言証拠を導入することによって、一定の場合に雪寃宣誓を不可能としたのである。この場合の刑罰は、教会の秩序維持という行政的観点から科されたもので、正規の刑罰ではない。 ところが、刑事訴訟の糾問主義化で問題になるのは、かかる特別裁判手続としての糾問訴訟の形成ではなく、「証拠の女王」としての自白の拷問による獲得である。これは、伝統的訴訟において自白が持っていた手続上の意味から理解される。すなわち、自白は神判ないし雪寃宣誓と二者択一の関係にあった。だから、後者を排除するために、自白の獲得が目差ざれたのである。その意味では、確かに証拠手続の合理化の方向にはあるのだが、主眼はむしろ「7人による帰罪宣誓」と同様、否認の可能性を遮断して、断罪の可能性を拡大する点にあった。実質的意味において合理化された証拠手続は、16世紀になって自白の真正性を問われるようになったときに始めて成立したといえるのである。
|
Report
(1 results)
Research Products
(3 results)