近世ハプスブルク家の対オスマン防衛政策 〜その構想・組織・運営〜
Project/Area Number | 05J01029 |
Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
History of Europe and America
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Research Institution | Kyoto University |
Research Fellow |
河野 淳 Kyoto University, 文学研究科, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2005 – 2007
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Project Status |
Completed(Fiscal Year 2007)
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Budget Amount *help |
¥3,400,000 (Direct Cost : ¥3,400,000)
Fiscal Year 2007 : ¥1,100,000 (Direct Cost : ¥1,100,000)
Fiscal Year 2006 : ¥1,100,000 (Direct Cost : ¥1,100,000)
Fiscal Year 2005 : ¥1,200,000 (Direct Cost : ¥1,200,000)
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Keywords | 近世史 / 国際情報交換 / オーストリア / オーストリア:クロアチア |
Research Abstract |
これまで行ってきた研究を整理し、ハプスブルクが16,17世紀に行っていた対オスマン防衛政策の全体像を把握した。軍事行政を司る官庁として設置された宮廷軍事局により一元的に管理されることで、対オスマン防衛が大幅に合理化、集約化されたこと、また軍事植民制め導入により、財政的に困難な仕事であった対オズマン防衛の質を、一定の水準に保つことが可能になったこと、以上のことがハプスブルグによる対オスマン防衛において特に注目すべき点であることが明らかとなった。対オスマン防衛の過程で生まれた合理的な軍事行政は、後の常備軍整備への道を開くものであり、神聖ローマ帝国の歴史においてだけでなく、ヨーロッパ史全体において非常に大きな意義を持つものであった。 ハプスプルクによる対オスマン防衛のうちでも特に大きな意義を持ったと思われるクロアチアにおける軍事植民制については、さらに考察を深めた。2007年9月にウィーンにおもむき、クロアチアの議会文書、租税台帳などを収集し、軍事植民制導入の過程について、とりわけ政治思想史的な観点から、詳しく分析した。その結果、軍事植民制導入の是非を巡って行われた議論に、ハプスブルクの政治的言説の新しさ、中世的思考様式からの脱却が明確に現れていることを見出した。その点に関して詳しく論じた論文「中世国家の「身体」が揺らぐとき-16,17世紀クロアチアの兵舎化と、衝突する二つの心性-」を執筆し、学術雑誌に投稿した。現在当該論文に対して審査が行われている。
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Report
(3results)
Research Products
(1results)