Project/Area Number |
05J02081
|
Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
|
Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
History of thought
|
Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
川上 陽子 Kyoto University, 大学院・人間・環境学研究科, 特別研究員(DC1)
|
Project Period (FY) |
2005 – 2007
|
Project Status |
Completed (Fiscal Year 2007)
|
Budget Amount *help |
¥2,700,000 (Direct Cost: ¥2,700,000)
Fiscal Year 2007: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 2006: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 2005: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
|
Keywords | 死雨 / ことば / 贈与 / 死 / 歓待 |
Research Abstract |
H19年度は、おもに贈与について研究を深めた。贈与が死と密接な連関をもっていることをつまびらかにした。そのために、ハイデガー、キルケゴール、デリダ、レヴィナス、ブランショらの著述をひもとくこときながら、彼らが死が到来するものということを前提とし、他の誰のものでもなくこのわたし固有のものである死という概念、それをぞんざいの担保としていたのに対し、死は誰しもに必ず訪れるものであるにもかかわらず、死の瞬間にわたしは雲散霧消するのであるから(すくなくとも「わたしたち」の「世界」においては)、死は届きそうでその瞬間に姿を消す、決して届き得ないものであること、つまりは絶対的他者性であり、にもかかわらず、それは産まれる瞬間にどこからともなく誰から都もなく贈与された、わたしとは切っても切り離すことができない不気味ななにものかであることを論じた、さらには、誰しもに贈与されていることば、とりわけその先鋭的な形態である一人称代名詞「わたし」が、誰しもに贈与されているがゆえに、誰しもにとってもっとも近しいものでありながら誰のものにもなりえないアンヴィヴァレンスをはらんでいることを、多和田葉子やブローディガンなどの文学作品を論じることによって明らかにした。ここにおいて、死とことばが、贈与という概念によわて結ばれることになる。死はぞんざいにとって絶対的他者性であるがゆえに、またその他者性においてのみそのぞんざいの単独生を支え、ことばも絶対的他者性であるにもかかわらず、わたしはそれを使用することによってしかしゅたい化することができない。どちらもぞんざいにとってなくてはならぬものであるにもかかわらず、それをつきつめると、しゅたい化とともに脱しゅたい化がおこるのである。これはいままで論じられることのなかった論点であり、たいへん重要な示唆に富むものであるとおもわれる。
|
Report
(3 results)
Research Products
(3 results)