Research Abstract |
(1)日清戦争期における日本とロシアの対立は,朝鮮の現状を維持しようとするロシアと,朝鮮の現状を変更し,朝鮮に日本の勢力を増大させようとする日本との対立であった。(2)ロシアが日本の朝鮮進出をあさえるために行った最も重要な行動は,1894年6月30日の朝鮮からの日本軍撤兵申入れ(A)と1895年4月23日のロシア,ドイツ,フランスによる,遼東半島を清国に返すように,との申入れ(いわゆる三国干渉)(B)である。(3)(A)に陸奥宗光外相はショックをうけ,伊藤博文首相と協議して,7月2日,ロシアに拒否回答をしている。これに対してロシア政府内部でどのような議論がなされたのか定かでないが,7月10日に日本の回答を了承することを表明した。(4)日本がロシアの行動を非常に恐れていたことからみて,ロシアがもっと強くでることもありえたのではなかろうか。現に,日清開戦前の7月19日に外務省アジア局長カプニストは,日本軍を撤兵させるために朝鮮東海岸のラザレフ港のロシアによる一時的占領が必要だとしている(「クラ-スヌィ アルヒ-フ」50-51巻)。(5)ロシアの不介入などで日清開戦となり,勝利をえた日本にショックを与えたのが(B)である。(6)ロシアが(B)の行動にでるのであれば,(A)の段階でもっと強く,たとえば(4)のカプニストの云うような行動にでれば,あるいは戦争にならなかったかもしれない。(7)その意味で(A)の背景,(3)(4)の時期のロシア政府内部の動きの研究が重要となるが,近時刊行された「ロシア外交史料館日本関連文書目録I」などを手がかりに研究をすすめているところである。
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