Project/Area Number |
09710267
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
History of Europe and America
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Research Institution | Mie University |
Principal Investigator |
野村 耕一 三重大, 人文学部, 助教授 (30228358)
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Project Period (FY) |
1997 – 1998
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1998)
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Budget Amount *help |
¥2,200,000 (Direct Cost: ¥2,200,000)
Fiscal Year 1998: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 1997: ¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,300,000)
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Keywords | ドイツ帝国 / ヴァイマル共和国 / プロイセン / 官僚制 |
Research Abstract |
平成9年度は、既存および新規に入手した史料をもとに、またドイツにおいて行った研究計画にかかるレビューをも踏まえて、ドイツ帝国およびヴァイマル共和国における政治につき、主としてプロイセンに注目して検討した。 いうまでもなくプロイセンは1871年のドイツ統一の立役者であり、ドイツ帝国(いわゆる第二帝政)における政治の回転軸たる位置にあった。これはドイツ帝国憲法の条文を見ただけでも容易に気付く事実であるが、それが政治の表舞台で見事に表出したのが、ビスマルクのあとをうけて帝国宰相に就任したカプリ-ヴィ政権期であった。カプリ-ヴィは、ビスマルクが何度か検討しながらも実行しなかった、帝国宰相とプロイセン首相の分離を敢行し、後者を手ばなしたため、プロイセン官僚制という帝政ドイツの政治体制の支柱を失い、「新航路」政策を完遂することが出来なかった。 ヴァイマル共和国においては、ドイツ帝国に比してプロイセンの政治的比重は小さくなったものの、依然としてそのプレゼンスは看過し得ないものがあった。とりわけ注目すべきは、プロイセンがヴァイマル民主主義の牙城たる役割を担うことになった点である。第二帝政期においてプロイセン官僚制がドイツ保守主義の基軸であったことを考えると隔世の感があるが、これは社会民主党を中心としたプロイセン政府の官僚政策の成果であった。
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Report
(1 results)
Research Products
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