19世紀オーストリア帝国における少数諸民族の言語権獲得過程とナショナリズムの研究
Project/Area Number |
11871068
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Research Category |
Grant-in-Aid for Exploratory Research
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
独語・独文学
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
伊狩 裕 同志社大学, 言語文化教育研究センター, 助教授 (50137014)
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Project Period (FY) |
1999 – 2001
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2001)
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Budget Amount *help |
¥2,300,000 (Direct Cost: ¥2,300,000)
Fiscal Year 2001: ¥500,000 (Direct Cost: ¥500,000)
Fiscal Year 2000: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 1999: ¥1,000,000 (Direct Cost: ¥1,000,000)
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Keywords | カール・エミール・フランツォース / ルードルフ・フォン・イエーリング / 権利のための闘争 / カール・エーミール・フランツォース / オーストリア帝国 / 言語 / ガリツィア / ユダヤ人 |
Research Abstract |
今年度も、昨年度に引き続き、ガリツィアに生まれた同化ユダヤ人作家カール、エーミール、フランツォース(Karl Emil Franzos 1848-1904)を対象としたが、今年度は特に19世紀後半のドイツの法学者イェーリング(Rudolf von Jhering 1818-1892)とフランツォースとの関わりを、論文「権利のための闘争カール、エーミール、フランツォース試論(2)」において明らかにすることができた。フランツォースは、1867年ウィーン大学に入学し法律学を専攻するが、その翌年、ギーセンのローマ法教授イェーリングが、オーストリア帝国法務大臣アントン・ヒュエによって招聘されウィーンへやって来る。19世紀後半のドイツにおける法思想の主流はサヴィニーの歴史法学であったが、イェーリングはそれに対して異を唱えた人物であった。すなわち、サヴィニーの歴史法学が民族性に法の根拠を見出していたのに対してイェーリングは、ローマ法の研究を通じて普遍性に法の根拠を見定めていたのであった。同化ユダヤ人として幼い頃から啓蒙主義の中で育てられてきたフランツォースがイェーリングに傾倒していったのは当然の成り行きであった。1872年3月イェーリングはウィーンの法律家協会における講演「権利のための闘争」を置き土産にゲッティンゲンへ去る。方フランツォースは同じ年、あれほど心酔し、生涯を捧げる決意していた法学を断念し大学を去り、作家活動に入ってゆく。フランツォースが法学を断念したのは、彼がユダヤ人であったことと、おまけにブルシェンシャフトでの活動が公職に就くことが困難としたからであった。この年の秋イェーリングの講演は『権利のための闘争』として刊行され、この書によってフランツォースは「権利/法の神聖」を強く確信し、10年後、小説『権利のための闘争』(1882年)を書かせるきっかけとなったのであった。
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Report
(3 results)
Research Products
(2 results)