Research Abstract |
平成24年度は、1.第一次世界大戦を契機とする日米関係の質的変化が、東アジアの大国間関係に与えたインパクトに関する論文の執筆と、2.本研究の中核部分を占める「日英同盟の終焉」に関する資料収集と分析を、主に行った。特に2.の「日英同盟の終焉」に関する資料調査が順調に進んだので、当初の計画よりも前倒しして、研究を進めた。 1.に関しては、第一次大戦を契機にした米国の理念外交の展開を起点に、日米の外交政策の変化・国際秩序認識の変化が相互的に展開したことを主題に、"What Peace Meant to Japan:The Changeover at Paris in 1919"と題する学術論文(英語)を執筆した。Tosh Minohara,Tze-ki Hon,and Evan Dawley(eds.),The Decade of the Great War:Japan apd the Wider World in the 1910s(Brill,Scheduled for publication in 1914)のChapter9として出版予定であり、現在外部査読中である。 2.については、公刊資料の読解を進めると同時に、9月に約2週間、英国の国立公文書館(The National Archives of the UK)を中心に、英外務省(FO)・英帝国防衛会議(CID)・英内閣(Cabinet Papers)の関連資料を収集した。その後、収集した資料の読解をすすめることで、以下の点を明らかにしてきた。 (1)日英同盟の廃棄をめぐる英外務省と政策決定者(ロイド・ジョージ以下の主要閣僚)の状況認識の相違が、1920年の新四国借款団交渉の妥結を契機に拡大したこと。前者は、新借款団交渉によって、東アジアにおける米国との政策協調に可能性を見いだしたが、後者にとっては、(1)同時期およびそれ以降に起こった米国上院のヴェルサイユ条約の批准拒否の確定、(2)ウィルソンの外交・安全保障政策を批判していた共和党への政権交代の印象がより強烈であり、日英同盟の存廃問題で英国がかかえる「ジレンマ」を解消するものにはならなかったこと。 (2)同盟の更新をめぐる政策決定者の議論では、(1)海軍政策とのリンケージを重視する立場(同盟の更新に慎重)、(2)中国政策とのリンケージを重視する立場(同盟の更新に肯定的)とがあったが、政策決定者間の議論で最後までより優位にあったのは、後者の立場であったこと(換言すれば、海軍政策はたしかにきわめて重要であったが、イギリス帝国の外交政策を全面的に規定するにはいたらなかったこと)。このことも、結果的に、日英同盟の存廃をめぐる英国の政策決定上の「ジレンマ」を強めることになった。
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