Project/Area Number |
12J08123
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
Japanese history
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
後藤 敦史 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2012
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2012)
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Budget Amount *help |
¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 2012: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
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Keywords | 徳川幕府 / 外交担当有司層 / 幕末外交史 / 幕末政治史 |
Research Abstract |
本年度の研究においては、幕末期に徳川幕府の外交を担った有司層(以下、外交担当有司層)が抱いていた外交構想を明らかにするための、まず基礎的史料の収集を実施した。具体的には、国立公文書館および国立国会図書館所蔵の幕臣が残した文書類を中心に分析を進め、かつ、国立大学法人熊本大学文学部に寄託されている永青文庫の肥後細川家から、当時の幕府政治・外交にかんする史料を収集し、閲読を進めた。また、年度末には公益財団法人宇和島伊達文化保存会所蔵の宇和島藩伊達家文書の史料も写真撮影をする機会に恵まれ、同史料中の書簡類から、幕末の外交担当有司層と宇和島藩主伊達宗城の交流の一端を知ることができた。 これらの研究の結果、幕府の外交担当有司層が、幕末期において発言力を強めていった大名層との関係を重視しながら外交方針を構想していたこと、その一方で、日米修好通商条約以来の幕府権威の失墜のなかで、幕府の外交担当有司層の発言力も低下していったことが明らかとなった。これらの特質を、申請者が従来進めてきた1850年代の幕府外交の特質と比較するならば、(1)1850年代において将軍権力の強化で幕府外交を断行しようと試みていた外交担当有司層の構想が、幕府権威の失墜、朝廷権威の強化、大名の発言力の強化という諸要素によって頓挫し、幕府自体が統一的な外交方針を打ち出すことが困難な状況となっていったこと、(2)1850年代においては国内政治においても主動力を発揮していた外交担当有司層が、外交の実務官僚としての性格を強め、国内の幕政レベルでいえばその存在感を低下させたこと、を示している。1850年代と1860年代の幕府外交担当有司層の外交政策構想の比較自体、先行研究で十分になされていたわけではなく、本研究によって、その構想の特質とその変遷の過程を明らかにしたことは、幕末・維新期の外交そのものを考察するうえでも重要な成果と評価することができる。
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Report
(1 results)
Research Products
(4 results)