戦後における国民教育の再構築に関する教育実践史研究
Project/Area Number |
13710170
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Research Category |
Grant-in-Aid for Young Scientists (B)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Educaion
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Research Institution | Tokyo Metropolitan University |
Principal Investigator |
小国 喜弘 東京都立大学, 人文学部・心理教育学科・教育学専攻, 助教授 (60317617)
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Project Period (FY) |
2001 – 2002
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2002)
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Budget Amount *help |
¥2,500,000 (Direct Cost: ¥2,500,000)
Fiscal Year 2002: ¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
Fiscal Year 2001: ¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,300,000)
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Keywords | 生活綴り方 / 郷土教育 / 社会科 / ナショナリズム / 教育史 / 国民 / 教育 / 歴史学 / 戦後 / 国民的歴史学 |
Research Abstract |
本研究は、1940年代半ばから1960年代にかけての国民教育運動が、戦前の国民教育をいかに再編成することになったのかを社会科や国語科の個別的な教育実践に即して明らかにしようとするものであった。申請者は、1950年代の国民的歴史学運動を一つの切り口とし、さらに50年代から60年代にかけての作文教育をもう一つの切り口として検討を試みた。 国民的歴史学運動について、申請者は今年度、岡山県における月輪古墳発掘運動とそこでの歴史教育の展開について検討した。生活綴り方実践については、無着成恭の1952年の『山びこ学校』と1970年の『続・山びこ学校』を比較検討しながら、1950年代から60年代終わりにかけての無着の実践の変化の背後に潜むナショナリズム問題について考察した。また、沖縄での国語教育実践の変遷についても調査検討し、論文を現在執筆中である。 以上の事例の分析を通して、浮かび上がってきた仮説について述べてみたい。まず皇国民の教育から国民の教育へといった戦前から戦後の学校教育の再編成は、ナショナリズムを内面化させる場としての学校教育の機能については連続することになった。戦後は、GHQの統治下におかれ、さらに1952年以降もアメリカ軍の駐留が続いたことから、特に革新派の教育学者・教育運動家たちにとって、植民地的な状況に日本が置かれることになったこと、アジア・アフリカにおいて植民地支配からの独立と民族解放の気運が高まっていたことなどを背景として、民族自立の教育として国民教育が正当化されることになった。また、その際、1950年代と60年代半ば以降において、国民創出の論理が微妙に異なっていることが浮かび上がりつつある。すなわち、1950年代においては、学生と農民、現在の村人と古代の村人、青年層の男女とその父母、といった国民内部における微細な差異を手がかりとし、その差異を国民的同質性の下に回収することを通して一体的な国民という観念を創出しようとしていた。それに対して、60年代半ば以降になると、沖縄の人と私、アイヌと私、被差別部落民と私、在日者と私といった国民概念の微妙な境界線上にいる他者との差異の認識を通して、国民的一体性を子どもに内面化させようとする傾向が強まっていた。これらの仮説が果たして正しいのか、そしてその変化の背後になにがあるのかについては今後の研究の中で深めていきたい。
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Report
(2 results)
Research Products
(4 results)