Project/Area Number |
13710229
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Research Category |
Grant-in-Aid for Young Scientists (B)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
History of Europe and America
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Research Institution | Sapporo School of the Arts |
Principal Investigator |
榊原 康文 札幌市立高等専門学校, インダストリアル・デザイン学科, 講師 (40271704)
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Project Period (FY) |
2001 – 2002
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2002)
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Budget Amount *help |
¥2,200,000 (Direct Cost: ¥2,200,000)
Fiscal Year 2002: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 2001: ¥1,400,000 (Direct Cost: ¥1,400,000)
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Keywords | シチリア王国 / 教皇庁 / インノケンティウス3世 / モンテカッシーノ修道院 / 城砦 / コンタンツァ / フェデリーコ2世 / 聖職叙任 |
Research Abstract |
12世紀末から13世紀前半までのシチリア王国の「混乱期」において、実質的な中央権力が不在の状況にともない、在地貴族やドイツ系、北イタリアの諸都市などのシチリア王国への介入が行なわれた。前年度は特に教皇インノケンティウス3世の王国政治への介入を検討したが、今年度は主に、サン=ジェルマノのリッカルドゥスによる年代記という同時代の記録を検討し、在地領主の動向について検討した。その結果、この「混乱期」においては聖界領主をふくむ権力の再編が行なわれていたことが確認された。例えば、この「混乱期」の末期の1215年に、モンテカッシーノ修道院長が修道院の領域支配の強化をはかって修道院周辺の戦略拠点の諸城砦(ヤヌーラ、バントラ)を獲得、防備を強化し、さらに、これと平行して自らの家門勢力の拡大をはかった。これらのために、修道院長は教皇インノケンティウス3世と対立し、ついには修道院長が更迭されるという経過をたどった。しかし修道院長の実質的な廃位の後も、修道院長の家門勢力が諸城砦の占拠を続けて教皇や修道院側に抵抗を続け、結局は翌年には教皇も妥協を余儀なくされ、両者に和解が成立して家門勢力の側にも一定の配慮が行なわれるという結果に至った。しかも、この権力の再編過程において、重要な要素となったのが前記の城砦であったことを確認することができた。さらに、詳細に検討するとこれらの城砦の属性にも相違がある。すなわち、ヤヌーラ城砦は修道院への登挙道を見下ろす戦略拠点にあるのに対し、バントラ城砦は集落をともなう城砦であり、街道を見下ろす要地に位置している。こうした城砦相互の相違を踏まえつつ、これらの城砦の支配の実態をこの「混乱期」の前後において検討することで、中世中期の南イタリアの権力構造解明のための重要な手がかりが得られると思われる。
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