Research Project
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スタニスラフスキイが、後に「システム」と呼ばれることになる演技の創造方法を「俳優の自分自身に関する仕事」(邦題『俳優修業』第一部)と題して出版したのは、彼最晩年の1938年のことであった。彼は続いて第二、三部を出版するつもりでいたが、遂に果たせずに同年死亡した。この事情から、前記の著作に展開されているものがスタニスラフスキイ・システムの全体像であるかのごとく受け取られるという誤解が生じることとなった。本来は、書かれるはずであった第二、三部をも併せて「システム」と呼ばれるべきものであったのである。現在、出版されている第二、三部はスタニスラフスキイが遺した草稿を死後他人が編集したものにすぎない。1930年代の半ば、実際にはスタニスラフスキイは第一部に著したものとは別の創造方法「身体的行動」を試していたのである。その際に、彼が興味をもって参照したものの一つが、メイエルホリドの創造方法「ビオメハニカ」であったと考えられる。メイエルホリド劇場の俳優であったエラスト・ガーリンはその回想の中で、スタニスラフスキイに請われてメイエルホリドの弟子でビオメハニカ教師のゾシマ・ズロービンが三年間彼のもとに通って、ビオメハニカの俳優教育システムを実地に講義したことを伝えている。本研究では、以上述べたスタニスラフスキイの演技創造の方法とメイエルホリドのビオメハニカとの密接な関係について、主としてシアターX・チェーホフ研究会で三度にわたって研究発表をしたが、その成果を論文の形で発表するまでには至っていない。