Research Project
Grant-in-Aid for Exploratory Research
在韓日本人の学術文化活動の基礎的作業として、日本人居留民団の実体やその活動状況を調査した。居留民団や商業会議所による地域発達の歴史を記した『京城發達史』(明治45年)『平壌發展史』(大正3)『元山發展史』(大正5)『忠州發展誌』(大正5)『大田發展誌』(大正6)などと、このほかに行政機関や各地の新聞社が編纂したものの調査によって明らかになったことは以下のようである。(1)日本人社会は、開港場を中心にして主に経済活動をする人々による港会議の設立にはじまり、京釜線・京義線の鉄道開設によって内陸の駅を中心にした新たな商業流通拠点の登場により、全国各地に形成されていき、日露戦争によって日本人の流入とその活動が急増した。(2)1887年に領事館の布達によって仁川、釜山、元山の開港場に作られはじまった居留民団は、防穀令事件にみられるように日本政府に対する圧力団体としてその意義を認めていた。また、神社設立もそうであったが、学校組合は居留民団の自治を象徴するものであった。このような居留民団は、府制実施によって1914年廃止されるまで、現地人とは殆ど接触せず、隔離独立した日本人社会であった。(3)関野貞らの古跡調査によって平壌の楽浪遺跡、慶州の新羅が世間に注目されていたし、日清戦争とともに文禄・慶長の役関連遺跡がその近隣地域の居留民に注目され、その保存や宣伝活動につながっていた。このような歴史的なゆかりの存在の確認は、定住志向を強めていった文化活動でもあった。(4)約16地域での約40種と確認された新聞は各種情報や知識の伝達を担ったし、各地の測候所や勧業模範場に派遣された日本人技術者は、その地域社会に科学的学問伝播の役割を担ったものと考えられる。