Research Project
Grant-in-Aid for Young Scientists (B)
本年度の研究実施計画に基づいて、下記のような考察と分析をおこなった。(1)スイス北西部の村落プラッテルンにおいて15世紀後半に激化した領主・農民間の紛争に、近隣の大都市バーゼルが調停(仲裁)者として関与していたであろうことが、先行研究ならびに史料の予備調査から想定される。そのことをふまえ、中世後期のドイツ西南・スイス北西地域における都市・領主・農民関係の解明にむけて、ここでは上記の紛争の調停の過程をある程度まで窺い知ることができると見込まれる1465年のある文書群にねらいを定めて分析を試みた。(2)充当された旅費を利用して、スイスのStaatsarchiv Basel-Landschaft(バーゼル農村邦国立古文書館)を訪れ(2004.8.24〜26)、そこで専門家のオトナン=ジラール女史のご教示を得ながら、上記の文書Dokument Urkunde Nr.537 S.90〜102の判読を完了した。明らかになった全体の構成は以下のとおりである。a)市参事会によるSchiedspruch(裁定) S.90 b)申し状:市参事会→領主 S.91 c)申し状:領主→市参事会 S.91〜93 d)申し状:市参事会→領主 S.93〜94 e)申し状:領主→市参事会 S.94〜96 f)申し状:領主→市参事会 S.96〜97 g)申し状:市参事会→領主 S.98 h)申し状:領主→市参事会 S.98〜100 i)申し状:領主→市参事会 S.100 j)申し状:市参事会→領主 S.100〜101 k)申し状:市参事会→領主 S.101〜102(3)現在取り組んでいる各申し状の内容の翻訳と分析は、引き続き今後の課題にせざるをえないが、調停の形式に関しては、1度かぎりの裁定で完了ではなく、その後も領主側からの反訴、それに対する調停者側からの回答が、再三にわたり繰り返されていることが確認できた。