中国の宮中枢部の空間構成における儒教思想の理想的モデルと実態との関係性について
Project/Area Number |
15H00026
|
Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Scientists
|
Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
史学
|
Research Institution | 大阪府立豊中支援学校 |
Principal Investigator |
豊田 裕章 大阪府立豊中支援学校, 教諭
|
Project Period (FY) |
2015
|
Project Status |
Completed (Fiscal Year 2015)
|
Budget Amount *help |
¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
Fiscal Year 2015: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
|
Keywords | 前殿 / 周制の三朝制 / 前期難波宮 |
Outline of Annual Research Achievements |
東アジアにおける宮室の建設原理に関する研究の一環として、平成27年度には科学研究費の助成を受けて、中国の宮室中枢部の問題を、秦漢時代以来の前殿の制と漢代以後、経学の中で体系化された周制の三朝制をキーコンセプトとして、紙媒体だけでなく電子化された漢籍資料をも活用して考察を進めた。その成果として次のような点を提起した。 秦漢時代以来、宮室の中心殿舎は、宮室の前側の広場に位置した前殿と呼ばれる殿舎であった(このようなあり方を前殿の制と称することとする)。漢代以後、儒教の経学が興隆する中で、『周礼』、『礼記』などの儒教の経書をもとに、理想的な時代とされる周代の宮室中枢部の空間構成を、燕朝(内朝)・治朝(中朝)・外朝の3つの朝(朝は朝儀を行う広場)を中心とした空間構成とする認識が体系化される。周代の宮室の中心殿舎を表す言葉が「路寝」であり、その「路寝」の位置は漢代以後の経学の中で体系化された空間構成(周制の三朝制と称することとする)では、最も奥まった空間である燕朝(内朝)にある。そして、宮室の前側にある治朝(中朝)には君主の殿舎はない。前漢末期以後、現実の宮室を、周代の制度に比定することがしばしば行われるようになった。しかし、実際の宮室構造は中心殿舎の位置から考えると、秦漢以来の前殿と同様、宮室の前側の広場に位置した。唐の太極宮では実際の宮室構造も上古の三朝制に比定される3つの空間から構成されたけれども、中心殿舎の位置は明らかに前殿の制を踏襲し前側の空間である中朝にある。このような構造は北宋の開封や近くは明清の北京にも遺制が見られると考える。 古代日本の宮室は、むしろ原型となる前期難波宮が周制の三朝制を志向して空間構成の枠組みが考え出されたため、これに藤原宮、平城宮、平安宮と次第に唐代の空間構成のあり方が重層的に受容されていくけれども、唐の太極宮とは異質な構造となっている。
|
Report
(1 results)
Research Products
(1 results)