近世武蔵国における修験道当山派の展開-醍醐寺三宝院門跡の動向から-
Project/Area Number |
16H00025
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Scientists
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
史学
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Research Institution | 埼玉県立歴史と民俗の博物館 |
Principal Investigator |
関口 真規子 埼玉県立歴史と民俗の博物館, 学芸員
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Project Period (FY) |
2016
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2016)
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Budget Amount *help |
¥380,000 (Direct Cost: ¥380,000)
Fiscal Year 2016: ¥380,000 (Direct Cost: ¥380,000)
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Keywords | 修験道 / 醍醐寺三宝院門跡 / 当山派 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、醍醐寺三宝院門跡による修験道当山派および同派修験者を通して、近世期における教団棟梁による修験者支配の実態を解明することを目的としている。主要な研究素材とした史料は、宮内庁書陵部所蔵の「三宝院日次記」と、醍醐寺所蔵の「諸国御末寺・修験官職継目控」である。 門跡に伺候した人物による記録「三宝院日次記」からは、門跡を訪れた修験者や、彼らから門跡へ進上された金品、訪問の背景について知ることができた。これらによって、江戸時代の醍醐寺が修験道を活動の主柱の一つとすることで、全国の末寺を展開させていたことが窺われた。 併せて、当山派修験者に対する官位の授与を記録した「諸国御末寺・修験官職継目控」(醍醐寺蔵)の分析からは、当山派の本拠地である畿内や、それ以外の他地域・各国と比較しも、特に武蔵国における当山派修験者の数が際立って多かったことを実数として知ることができた。また門跡から下された官位や補任の対象者には偏りがあることを指摘できるが、この点からは門跡と当山派先達とで当山派支配にかかる役割が分担化されていたとも推測される。さらに記録中、各修験者に付された注釈からは、当山派先達の袈裟筋(師弟関係)にあった「同行」(修験者)の中に、三宝院門跡の直末寺となることを希望した者の存在を複数知ることができた。これにより、江戸期における三宝院門跡による修験者の支配形態を理解するための有益な手掛かりを得ることができた。本研究では特に教団棟梁という支配する側の立場から当山派について考えたが、被支配側である同派修験者や、彼らの中でも真言密教と修験道とを兼帯した者について考察することも今後の課題としたい。 さらに「諸国御末寺・修験官職継目控」には、当山派修験者の妻である神子(巫女)についても記されており、近世期の女性宗教者を考察する基本的情報という副次的効果が得られた。
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Report
(2 results)
Research Products
(3 results)