Project/Area Number |
16J07501
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
History of thought
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Research Institution | Ritsumeikan University |
Principal Investigator |
ZHANG LIN 立命館大学, 文学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2016-04-22 – 2018-03-31
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2017)
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Budget Amount *help |
¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,300,000)
Fiscal Year 2017: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
Fiscal Year 2016: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
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Keywords | 第一次世界大戦と東アジアの知識人 / モダニティクライシス / 大正教養主義 / 京都哲学 / 思想対話 / 第一次世界大戦と東アジアの公共圏 / 帝国と植民地 / 大正デモクラシー / ナショナリズム / 政治と情動 |
Outline of Annual Research Achievements |
平成29年度では、第一次世界大戦後の1920年代初頭、イギリスの哲学者B・ラッセルの「露中日」訪問をめぐる知識人のまなざし、とりわけ日本では、大正・昭和前期において活躍していた、「忘れられた哲学者」、評論家、社会活動家、「京都哲学のディアスポラ第一号」こと土田杏村(1891-1934)との関わりで検討してきた。「京都哲学」の出自とその在世中の活躍ぶりにもかかわらず、杏村の思想は今、ほぼ埋もれたままである。大正中期以降彼が抱えていた価値再建という問題意識や、それに応えるがために唱えた「文化哲学」の思想体系はその死後、「極端の時代」のなかでは、一向に見向きもされず、1970年代上木敏郎氏より「再発見」されるまでには、長い間忘れ去られていったのである。今年度の研究はこういった問題意識を受けながらも、単純な杏村をめぐる個人研究を展開するのではなく、1921年に上梓されたその著述『文化主義原論』(1921)及びその周辺の関連テキストを分析材料に、日中両国の知識人の動向と連携のもとでなされた「ラッセルの露・中・日の訪問」(1920-1921)という「思想史的事件」を背景に、「後進帝国」の一知識人としての杏村の思想的変遷と理論の構築過程に考察を加えたものである。とりわけ当時、ちょうど大戦後ロシア・中国の滞在を経て日本に訪れたラッセルとの、二人の哲学者の思想的対話を通して、総力戦と大量死、文明の生起と凋落というモダニティ・クライシスの時代思潮を前にした、東西を問わない同時代知識人の思想的格闘と模索を描いた。本研究を通して、第一に「忘れられた」思想家・土田杏村の思想への再検討の喚起、第二に大戦後国際政治の地殻変動期に面するヨーロッパと東アジアの知識人が、いかに人間個体と共同体の進路を模索したのかを提示してみた。
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Research Progress Status |
29年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
29年度が最終年度であるため、記入しない。
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