○研究目的 : 本研究では、古墳時代における日本列島と朝鮮半島南部地域の交流の実態を探ることを目的とした。 ○研究方法 : 分析資料としては、古墳副葬品の一種である金工品に注目した。金工品は、古墳時代に大陸から朝鮮半島を経由して日本列島に伝播してきたものであるため、古墳時代の対外交流の様相に迫りうる資料である。本研究では、金工品の中でも矢を入れる道具である「盛矢具(胡籙金具、平胡籙金具、靫金具)」と「装飾馬具(辻金具・雲珠)」に付着する織物の加工技術に注目した。織物加工技術のデータを収集し、朝鮮半島南部から日本列島への技術伝播の様相を明らかにすることで、その技術を有していた渡来系工人集団の動向を検討した。 ○研究成果 : 1. 盛矢具の織物加工技術に異なる技術(A、B)を確認 先行研究の成果をもとに、盛矢具にみられる織物加工技術を縁かがり(技術A)と伏組繍(技術B)に区分して検討した結果、技術Aは胡籙金具(山形突起付帯形金具をもつセット)、技術Bは胡籙金具(三葉形立飾付帯形金具をもつセット)・靫金具・平胡籙金具に多くみられることを確認した。さらに、技術Aは鉄製冑、技術Bは馬具(辻金具・雲珠)にもみられ、盛矢具はこれらのそれぞれと一部製作工程を共有していたことが判明した。 2. 技術A、Bの系譜が判明 技術Aは5世紀後葉以降の百済と倭、技術Bは5世紀中葉以降の百済、新羅、大加耶、阿羅伽耶、倭においてみられることが判明した。技術Bは日朝で広くみられた織物加工技術であったのに対し、技術Aは百済と倭という限定された地域で用いられた技術であった可能性がある。倭ではこの両方の技術が併存している。この背景として、故地の異なる渡来系工人集団が倭の金工品生産に関与しており、百済をはじめとした半島南部の様々な地域と倭が交流関係にあったことが明らかとなった。
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