「独立」ビルマの民衆と日本軍:切り崩される占領体制
Project/Area Number |
20K00979
|
Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
|
Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 03020:Japanese history-related
|
Research Institution | Kyoto University of Education |
Principal Investigator |
武島 良成 京都教育大学, 教育学部, 教授 (30379060)
|
Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
|
Project Status |
Granted (Fiscal Year 2022)
|
Budget Amount *help |
¥1,820,000 (Direct Cost: ¥1,400,000、Indirect Cost: ¥420,000)
Fiscal Year 2023: ¥260,000 (Direct Cost: ¥200,000、Indirect Cost: ¥60,000)
Fiscal Year 2022: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
Fiscal Year 2021: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
Fiscal Year 2020: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
|
Keywords | ビルマ / 太平洋戦争 / 日本軍 / バモオ / タキン党 / バ・モオ / 日本占領期 |
Outline of Research at the Start |
研究代表者は、平成31年度科研費研究成果公開促進費の交付を受け、『「大東亜共栄圏」の「独立」ビルマ』を刊行した。同書では、日本(軍)が、自主・自立を求めるバ・モオ政府の抵抗に直面し、カネ・モノ・ヒトの各点で妥協を重ねたこと、それと対照的に、一般住民に苛酷な姿勢で臨んだことを示した。 同書をまとめる中で、研究代表者は、ビルマ住民を受動的な存在と決めつけていた我々の意識を、根本的に見直す必要を感じた。そこで、本研究では、住民と日本軍の関係が詳しく描かれたミャンマー国立公文書館の史料を、初めて本格的に活用し、一般のビルマ人が日本に与えた影響という視点を加味して分析を行い、新たな歴史像を構築する。
|
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は、4年計画の3年目として、日本占領期のビルマに関わる史資料の収集に努め、ネイティブのチェックを受けながら読解を進め、論文も積極的に執筆した。 年度内に発表した論稿は次の4本である。まず「バモオ政府(ビルマ)の仏舎利寄遷」(『歴史の理論と教育』156号)では、バモオが1944年3月以降、仏教の保護者・振興者としての振る舞いを強め、ビルマ住民からの支持を得ようとしたことを示した。また「太平洋戦争と東南アジア占領」(『日本史研究』718号)では、これまで日本史の研究者たちが現地語史料をあまり活用しようとしなかったために、東南アジア住民の主体的動きを充分認識できなかったことを指摘した。そして、特にバモオの動きに即して占領期のビルマの実態に触れ、今後行うべき研究の方向を提示した。さらに、「バモオ小伝」(高綱博文ほか編『グレーゾーンと帝国』所収)で、戦前から日本占領期までのバモオのあゆみをまとめ、バモオにとって占領期が自分を中心とした政治体制を固める画期だったことを示した。この他、「シャン、カレンニーの帰属問題(1942~1943年)」(「京都教育大学紀要」142号)で、日本側のビルマ「独立」に対する反応の重層性を明瞭にした。シャン、カレンニーのビルマへの「移譲」は、東条政権の「新政策」の一環ではあったが、南方軍の反対とビルマ方面軍とのコミュニケーションギャップにより、実現の時期が遅れたのだった。 これらの論稿は、拙著『「大東亜共栄圏」の「独立」ビルマ』に続く次の研究書の骨格をなすはずである。バモオ政府と日本の関係はより鮮明になり、占領体制が日本軍と現地住民の共同で形づくられていたことが明瞭になった。その体制は、政治家としてのバモオを飛躍させるものでもあったが、バモオは国軍への影響を強められず、抗日運動に合流することができなかったために1945年に失脚したのだった。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
研究1年目に2本、2年目に2本、3年目に4本の論稿を発表した。現在、さらに1本を投稿中であり、研究は当初の計画以上に進展していると言える。その際、「日本史研究」の論稿で、日本の東南アジア占領についての研究状況をまとめ、研究の問題点と可能性とを広く学界に訴えた、また、「バモオ小伝」により、各論を抱合する巨視的な歴史像を提示したことも、研究の広がり・発展に貢献するものだと言える。 分析の中心となるバモオ政府の研究は、『バマ・キッ』と「河辺正三日誌」の読解により大きく前進した。これらの史料に支えられ、ビルマ側が日本側と正面衝突を繰り返していた実態を掘り下げることができた。また、住民の苦難については、泰緬鉄道の労働者(レッヨン・タッ)の動員、下ビルマの米不足、綿製品不足などについて、ビルマ側史料を使い研究を深化させた。のみならず、ビルマ側が次第に日本側の思うようには動かなくなっていったことも指摘した。これはバモオ政府論とも繋がる論点である。 日本の政策の重層性についても、シャン、カレンニーの「移譲」問題を切り口に深めることができた。総じて、研究は順調に進展している。
|
Strategy for Future Research Activity |
バモオ政府については、バモオの将来構想を見定めるために、血縁者を最大限利用して体制を固めようとしたことに注目している。また、バモオが提唱した「大東亜」諸国の代表かつくる委員会についても検討する予定である。住民の苦難については、ガンゴオ地区(パコックー北方)の戦後の史料を入手したので、これと日本時代の様相を接続して考察したい。 これらの他に、アウンサンという「英雄」の分析を残り一年で可能な限り推進する。そして、アウンサンとビルマ国軍が、日本軍の下で「悪しき体質」に染まったのか、それとも「善玉」であるアウンサンが暗殺されたために国軍が変質したのかという重要な問題に迫る糸口をつくりたい。従来のアウンサン研究は、1945年3月~1947年7月の演説の分析を中心に行われていた。そこに、日本軍と共に歩んだ1940年末~1945年初頭の言動を加えて分析し、日本から何を得て何を得なかったのかを考える。
|
Report
(3 results)
Research Products
(11 results)