近世以降の小笠原諸島の歴史研究に関わる近年発見の新史料の開拓と整理に取り組み、現代語訳による史料活用に向けた条件整備を行った。 (1)新発見の「小花作助日記」(全6冊)の第一冊(慶応2年分)を復刻し、同時に、本史料を通して得られた幕末維新期の幕府外交を支えた外国方官僚の動向を、小花作助(最後は外国奉行支配組頭、その後明治政府に採用)の行動を通じて明らかにした。 (2)小普請組所属の無役の小花作之助は、外国方に登用され、小笠原諸島(当時は、無人嶋・ボニン諸島)回収に従事し、小笠原からの一斉引き揚げ後は、慶応元年の遣仏英使節団に随行、築地の居留地や製鉄所の建設などにも携わった。幕臣の多くが駿府移住する一方で、新政府側の一員に登用された。その立場で周囲の幕臣の動きや江戸市内の混乱状況を冷静な目で記録にとどめた。幕臣個人の私的な日記であり、蔵米収入や運用など家計全般、家族や縁者、同僚幕臣の日常、近隣の騒擾も克明に記録している。今回の現代語訳と刊行はその第一冊分である。 (3)小笠原諸島を発見した阿波・浅川浦船(徳島県海部郡)や、幕末、多国籍の外国人の小笠原島居住の事実を我が国に知らしめた陸奥国小友浦船(岩手県陸前高田市広田)などの出身地で現地調査を行い、小友浦では、沖船頭三之丞らが建立した無人島漂流と生還の経緯を刻み込んだ「生還記念碑」二基(金比羅権現碑、船玉碑)を発見した。
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