Project/Area Number |
21K00317
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 02010:Japanese literature-related
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Research Institution | Bukkyo University |
Principal Investigator |
新稲 法子 佛教大学, 公私立大学の部局等, 非常勤講師 (40725230)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥1,560,000 (Direct Cost: ¥1,200,000、Indirect Cost: ¥360,000)
Fiscal Year 2023: ¥390,000 (Direct Cost: ¥300,000、Indirect Cost: ¥90,000)
Fiscal Year 2022: ¥390,000 (Direct Cost: ¥300,000、Indirect Cost: ¥90,000)
Fiscal Year 2021: ¥780,000 (Direct Cost: ¥600,000、Indirect Cost: ¥180,000)
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Keywords | 近世文学 / 漢文学 / 日本漢文学 / 河内 / 生駒山人 / 北山橘庵 / 舟木杏庵 / 高野山 / 松原市 / 大阪市平野区 |
Outline of Research at the Start |
漢詩が流行した近世には河内の自然や人々の暮らしも詠まれており、地元出身の漢詩人も現れたが、河内の漢文学はほとんど研究されてこなかった。作品の一部は『河内名所図会』にも掲載されているが、名所図会は取りあげられても漢詩は地域の人々からも忘れられつつあるのが現状である。 本研究では、残された一次史料を基に、日下村の庄屋に生まれた生駒山人、一津屋村の医師である北山橘庵という二大詩人を初めとし、国学者や歌人の漢詩に至るまで、河内の漢文学の様相を総合的に明らかにする。 これら河内の漢詩の知的で瀟洒な世界を明らかにすることは、河内の文学史だけでなく、現在の河内に対する偏ったイメージを修正することになるであろう。
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Outline of Annual Research Achievements |
近世の河内地方における漢文学の様相を明らかにするため、河内の二大詩人である生駒山人と北山橘庵を取り上げて研究を行ってきた。最終年度の令和5年は、新たな資料を翻刻紹介する一方、これまでの翻刻・注釈や調査の結果の再検討とそれらを元にした考察に注力した。 ①北山橘庵の高弟である舟木杏庵の手稿本『南遊紀事』2種について検討した。著作として名のみ伝わっていた『南遊紀行』に相当すると考えられること、内容は空海の九百五十回忌法要に合わせた高野山参りの漢文紀行であることがわかった。2種を校合し、原本と推測できる十行本を紹介・翻刻した論文を投稿し、掲載された。これにより、所在不明だった舟木杏庵の著作4点のうち3点を世に出せる運びとなった。これら杏庵の作品の翻刻は、今後、北山橘庵や河内の漢詩研究に資することが期待される。 ②これまで紹介してきた舟木杏庵の新出史料を北山橘庵の『橘庵先生詩鈔』の内容と合わせて検討することによって、漢詩を中心とした文雅について橘庵がどのように後進を指導してきたか、詩会の開催状況や中央の詩人との交遊などが明らかになってきた。橘庵と杏庵の子弟関係という視点から、河内の漢詩文化の継承について、杏庵の伝記的事項について新たにわかったことも加えて、論文にまとめて投稿した(査読待ち)。 ③『河内名所図会』の挿絵はしばしば用いられているが、そこに記された生駒山人の漢詩が読まれることはほぼなかった。これらに注釈を施し、漢詩の実作者の団体の総会で講演し、地域で詠まれた漢詩の発掘と継承を呼びかけた。 河内の中でも、中河内で生駒山人を継承する者がいなかった一方で、南河内の在村医の間では橘庵の影響で漢詩が盛んに詠まれていた。しかし、在村医にとって漢詩はあくまで医業の余技であったこと、橘庵の後を継ぐレベルに達していた杏庵が早逝したことが、河内で漢詩文化が根付かなかった大きな原因だと推測された。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
河内の二大詩人のうち、北山橘庵については、橘庵の作品の読解だけでなく高弟の舟木杏庵の新出史料の翻刻を進め、成果を得た。 杏庵の著作として伝えられてきた5点のうち4点は所在不明であったが、令和4年度の『採萸吟草』に続いて本年度は『南遊紀事』の翻刻を公開した。大部なため分割して雑誌公開する予定の『杏庵詩稿』と合わせて、杏庵の著作はこれで未発見の1点を除いて公開されることとなった。 これら新たに翻刻し読解した史料も用いて、北山橘庵の文雅がどのように継承されていったのかを論文にまとめ、投稿することができた。 また、生駒山人についても『河内名所図会』に記された漢詩に注釈を施して講演をする機会があり、研究の成果が観光や地域振興に役立つ手応えを得た。
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Strategy for Future Research Activity |
令和5年度にまとめた論文は、北山橘庵と舟木杏庵の師弟関係を軸に河内の漢詩文化の継承をテーマとしたため、橘庵の詩に表れた楠公敬慕の思想について詳しく取り上げることができなかった。これについて別の論文を発表する予定である。 舟木杏庵については、従来北山橘庵の高弟として知られていたが、橘庵だけに学んでいたのではなく、含翠堂の陽明学者、篠原良斎を漢詩の師と呼んでいることが今回の研究でわかった。 含翠堂は懐徳堂に先んじて設立された町人による民間の学問所として長年にわたる研究の蓄積があるが、詩会が開かれていたことはこれまで知られていなかった。既に杏庵側の史料を用いて論文で指摘しているが、今後は含翠堂側の史料を含翠堂文庫などで調査し、含翠堂で生まれた漢詩の研究を進めるつもりである。
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