備北における石灰岩製石造物の研究ー石工・領主・信仰・流通ー
Project/Area Number |
21K00856
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 03020:Japanese history-related
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Research Institution | Nippon Sport Science University |
Principal Investigator |
舘鼻 誠 日本体育大学, スポーツ文化学部, 期限付特別研究員 (00384678)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2022)
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Budget Amount *help |
¥4,160,000 (Direct Cost: ¥3,200,000、Indirect Cost: ¥960,000)
Fiscal Year 2024: ¥1,170,000 (Direct Cost: ¥900,000、Indirect Cost: ¥270,000)
Fiscal Year 2023: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2022: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2021: ¥1,170,000 (Direct Cost: ¥900,000、Indirect Cost: ¥270,000)
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Keywords | 石造物 / 宝篋印塔 / 五輪塔 / 石灰岩 / 地蔵 / 備中 / 備後 / 中世 / 備北 |
Outline of Research at the Start |
「備北」と呼ばれる岡山県北西部から広島県北東部の山間部には結晶質石灰岩製の石造物(宝篋印塔・五輪塔・笠塔婆・石仏)が広く存在する。本研究は、この石灰岩製石造物の悉皆的な調査を実施することで、その分布や特質を明らかにし、形態変化に着目して編年の確立をめざす。さらに、石工集団と造塔主体たる寺家・武家領主との関係、石造物に陽刻される地蔵の形態や信仰の広がり、河川を介した石造物の流通、さらに瀬戸内側に広がる花崗岩製石造文化圏や山陰側の安山岩製石造文化圏との比較検討などを通して、文献史料では読み解けない地域の様相を石造物を通して明らかにし、研究の乏しい中世後期から近世初頭に至る備北社会の解明をめざす。
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Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、研究蓄積が少ない備北地域―岡山県北西部から広島県北東部(備中国北部・備後国北部)を中心に製作、造立された結晶質石灰岩製石造物(宝篋印塔・五輪塔・笠塔婆・石幢・石仏)を多角的に調査・分析することで、その分布や法量・技法などの基礎データを集積し、各部比率や彫成方法の比較検討を通して型式編年を確立することを目的とする。また、当該地域における鎌倉末期から室町前期の石造物は、硬質な花崗岩を加工する技術をもつ畿内(大和・京都・近江系)の石工集団に依存して製作されたが、やがて軟質な石灰岩を加工する石工集団が形成され、先行する花崗岩製石造物を模倣しながらも次第に域色を押し出しながら展開していった。そこには石工集団を支援する寺院や武家領主といった外護者の存在が想定され、石造物の拡大はこうした宗教勢力や武家勢力の拡大を投影したものと考えられる。こうした点を解明するにあたっては現地調査が不可欠となるが、初年度はコロナ禍の影響でほとんど調査を実施できず、ようやく今年度から本格的な現地調査を開始した。このため現在は石造物の確認と諸データの集積に務めている段階だが、それでも石灰岩製宝篋印塔がその技法から大和系と京都系に大別されることや、宝篋印塔・五輪塔に陽刻される地蔵の形から同一製品がかなり広く流通していたことなど新たな知見も得られた。また、研究当初は備北に集中すると考えていた石灰岩製石造物が備中南部一帯や備後南部西側(現在の福山市神辺周辺)まで広く分布することがわかってきた。このため研究題目は「備北における石灰岩製石造物の研究」とあるが、これからは「備中・備後における石灰岩製石造物の研究」として調査範囲を拡大させ、より詳細なデータの集積に努めていく。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度も岡山県・広島県を中心に石灰岩製石造物、とくに地域性を強くもつ宝篋印塔の現地調査を重点的に実施した。当該地域の石灰岩製宝篋印塔は、①笠の隅飾りの取りつけ部を段形二段目に造り、基礎の上部を二段に造るものと、②隅飾の取りつけ部を段形三段目に造り、基礎の上部と笠の下部に反花を造るものに大別され、このうち①が先行し、初見は岡山県総社市の嘉暦3年(1328)塔となる。倉敷市藤戸にも嘉暦3年塔よりもやや古い宝篋印塔があり、①の登場は14世紀初頭、鎌倉末期の備中南部と推察される。ついで岡山県新見市に至徳元年(1384)、広島県府中市に正長元年(1428)の宝篋印塔があり、備中北部や備後に広がって16世紀になると急増する。その多くは岡山県西部にあることから、①を「備中タイプ」と呼称する。備中タイプは大和系の花崗岩製宝篋印塔の技法を継承し、その生産地は石灰岩が豊富な高梁市備中町と推察される。備中町笠神には14世紀初頭に大和西大寺系の石工伊行恒が活動していたことから、伊行恒から技術指導を受けた当地の石工集団が製作をはじめたのだろう。これに対し②の初見は、岡山県高梁市にある天文5年(1536)の宝篋印塔となり、備中タイプより200年ほど時代が下る。また岡山県には類例が少なく、多くは広島県東部にある。初見の天文5年塔も塔身に陽刻された地蔵と同型のものが広島県庄原市にあることから、②は備後で製作され、備中にも広がったと推察される。このため②は「備後タイプ」と呼称する。備後タイプは基礎上部を反花に造る芸備の花崗岩製宝篋印塔の技法を模倣し、さらに笠の下部にも反花を造る。生産地は不明だが室町期に珍重された備後砂の産地となる庄原市東城町未渡を候補にあげておく。なお石灰岩製宝篋印塔には地蔵を陽刻するものが多く、新見市と井原市、府中市と庄原市などで同一製品を確認できた。河川を利用しての広範囲な流通を想定できよう。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究は、初年度が新型コロナウィルスの拡大時期にあたり、緊急事態宣言の発令などもあって予定していた現地調査がほとんど実施できない状況にあった。このためおよそ1年分の研究の遅れが見られるが、2022年度は現地調査を精力的に実施し、宝篋印塔や五輪塔に陽刻される地蔵の形態に着目することで、同一製品の広がりや地域的な特質など新たな知見を得ることができた。この成果をもとに次年度は石造物の所在地や地蔵データのさらなる集積に務め、編年の精度を高めるとともに、地域的な広がりや河川を媒介とした流通ルートの解明、さらに製作地の特定など石造物を通して中世社会を読み解く作業を進めていく。あわせて地蔵信仰の広がりや石灰岩製石造物に先行する花崗岩製石造物との比較検討ならびに併存状況なども調査を進めていく予定である。
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Report
(2 results)
Research Products
(1 results)